居場所としての寺 [271回 H31/3/28]
講師:星野 哲 氏
講師プロフィール:立教大学社会デザイン研究所研究員
元朝日新聞記者
2016年に独立。ライフエンディングを社会でどう支えるかを取材・研究する。その中で、社会的リソースとしての寺の可能性に着目している。

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<講演録>
皆さんこんにちは。ご紹介ただきました星野と申します。最初に皆さんへご質問します。皆さんはどんな時にお寺に行かれるでしょうか。
参加者「お墓参り」
 そうですよね。お墓参りに行きますよね。ありがとうございます。他にどんな時に行かれますか。
参加者「月に1度、お写経に行きます」
ありがとうございます。写経とか坐禅などをされに行かれたりしますね。最近ではマインドフルネスなんていう瞑想をやっていたりしますね。
それでは、お坊さんに頼りたいと思ってお寺に行かれることはあるでしょうか。
参加者「ちょっと悩み事があった時に、ちょっと聞いてもらいたくて行ったことが何度かあります」
そうですか。悩み事がある時にお坊さんが頼りになると思われたんですね。きっと日頃からお付き合いがあるということでしょうね。そうですか。ありがとうございます。実は、私がいろんなところでお話させていただく中で、お坊さんを頼りにしてらっしゃるのかなと思うと、意外にそれほど多くないんですね。お墓参りやご葬儀といったことが圧倒的に多いです。けれども、やっぱりどこか心の中で頼りにしていらっしゃって、困り事でお寺に行かれることもあると思います。
私は「居場所としての寺」という言い方をしています。お墓とかご葬儀以外で、困ったときであるとか、もしくは特に何もないけれどちょっと行ってみたいなという時に寄れるお寺ってどんなお寺だろうという事例を挙げてお話します。また身近にお付き合いするお寺を選ぶときに、どういうふうに選んだらいいかなということも今日はお話したいと思います。
ちょっと二つほどご紹介します。
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(2019/3/28「いのちを見つめる集い」より)

〈講演内容の公開はここまでです。講演録『みちしるべ』は会員の皆様にお送りしています。〉

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