命を考える [250回 H28/9/8 ]
タイトル:命を考える
講師:塩入 亮乗 師
講師プロフィール:浅草寺法善院住職 大正大学非常勤講師
昭和二年東京生まれ、成城学園高等学校・淑徳学園短大などの非常勤講師、大正大学綜合仏教研究所研究員などを経て、現在は大正大学非常勤講師・浅草寺法善院住職などに従事。

著書(共著)として
『仏教行事歳時記』(第一法規)
『仏教行事散策』(東京書籍)など多数
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<講演録>
塩入(しおいり)でございます。今日は「命」についてお話しをしたいと思っております。まず「命」という言葉なんですが、どうも日本人は「いのち」の「ち」とは、血液の「血」と同じような意味合いをもっていたようです。血がたくさん出てしまうと命が危ういというような意味合いもございます。一方で「気」という言葉がありますね。この「気」というのも命ととても関係が深いと思いますので、後で述べたいと思います。
さて、命と魂が同じなのかという問題もあるかと思いますけれども、命があるという言い方は、魂と肉体が存続しているという考え方でもあります。ただ、魂は連続してあるんですけれど、肉体は連続してあるものではないという考え方が日本人の考え方です。また、魂はその力を更新する必要がある、その更新をするときが実は年中行事なんですよ。
みなさんの中にも車を運転される方がいらっしゃるでしょうが、「俺は、もう四十年も運転してるよ」って言い方がありますね。でも四十年間の免許って与えてくれないわけですよ。免許を更新しているから四十年続いているんです。日本人の考え方では魂も同じように更新していくものなのです。一年に一度大きく更新するのがお正月だと思います。・・・・
(2016/9/8「いのちを見つめる集い」より)

〈講演内容の公開はここまでです。講演録『みちしるべ』は会員の皆様にお送りしています。〉

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