宗教と死 〜人は死んだらどこへ行くのか〜 [249回 H28/5/26]
講師:鈴木 晋怜 師
講師プロフィール:智山伝法院副院長 大正大学非常勤講師 真言宗智山派 寶蓮寺住職 仏教情報センター相談員
在家の出身。大学時代に心理学を学び、その後、仏門に入って、宗教学・仏教学を学ぶ。心理学的な視点から現代の宗教現象を探求している。

人は確実に死ぬとわかっていながら、誰も自分の死を経験することはできません。
人は死んだらどこへ行くのでしょうか。宗教が説く様々な死の世界についてお話いたします。
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<講演録>
ただいまご紹介いただきました鈴木晋怜(しんれい)と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
今日は「宗教と死 人は死んだらどこに行くのか」というテーマで話をさせていただきます。この死の問題っていうのは、仏教に限らずおよそ宗教にとって一番根本的な、基本的な命題だと思うんですね。人間の死を、自分の死をどういうふうに受け入れることができるのか、それが宗教の、究極的には一番大きなテーマになっているんじゃないかっていうふうに思います。
人間にとって死っていうものはどういうものであるかって言うと、死っていうのは、これはもう生まれた限りは必ず訪れるわけですよね。どんなにお金があろうが、地位があろうが、名誉があろうが、必ず死っていうのは訪れます。そういった意味では死っていうのは人間にとって何よりも確実なものであるわけですね。だけどその一方でみなさんの中で死んだことある人いらっしゃいますかね。死んだことある人は誰もいないわけです。だから自分の死っていうのは確実に死ぬって分かっていながら誰も自分の死を体験することができないわけですよね。そういった意味では死は確実なものでありながら、非常に不確実なもので、自分が死んだらどうなるか誰も分からないわけです。だからその人間っていうのは自分が死んだらどうなるのかわからないまま死んでいくとすれば、それはとっても苦しいっていうか、不安なものだと思うんですよね。そこで宗教は、どうなるか分からないその死後の世界の物語をいろいろ提示して、その宗教が提示している死後の世界の物語を自分がどれだけ心から信じきることができるかによってその人は自分の死を受け入れて、安心して死んでいくことができると、こういうことだろうというふうに思います。
(2016/5/26「いのちを見つめる集い」より)

〈講演内容の公開はここまでです。講演録『みちしるべ』は会員の皆様にお送りしています。〉


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