Live and love your life -自分自身を生きる [246回 H28/2/25]
講師:若林 希和 氏 プロデューサー
講師プロフィール:
大阪生まれ
7歳の時に父親の仕事で渡米
小学校卒業までをロサンゼルスで過ごす
ホテル、出版社、旅行代理店、大使館などさまざまな経歴を経て、2013年から主に海外のテレビ局やメディアの現地プロデューサーとして独立し現在に至る
二児の母

離婚、職場でのトラブル、子供の死や様々な困難を乗り越えて得た『しあわせ』とは。
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<講演録>

若林希和と申します。寒い中お越しいただいて本当にありがとうございます。
私はフィクサーとかプロデューサーと呼ばれる仕事をしています。仕事を通していろんな方との出会いがあって、本音を語ってくれる場面に出会うんですね。その中には、抑圧された方がすごく多くて、そういった方とお話しをする中で、少しでも私の体験が役に立てたらいいなと思って、お話しさせていただきたいと思います。
私は、七歳の時に父の仕事の関係でアメリカに行ったんですが、当然言葉が話せないんですね。何か言われたら、「I don't understand.」と言いなさいと父に言われて、地元の小学校に行ったんです。初日に行ってみると、日本人は私だけで、英語が話せないという事も、みんなには分からないんですね。
わーっと色々言ってくるんですけれど、「I don't understand.」ってくりかえし言うんですが、その発音を分かってくれないんですね。そしたら一人が、「あー分からないのね、You don't understand.」って言ったんですよ。
それで、あっそうだって、そこから一歩前に進めて、その二ヶ月後くらいには、テレビの内容を理解して笑っていたそうです。

地元のアメリカの公立の小学校だったので、当然アメリカ人としての教育を受けるんですけれど、毎日アメリカの旗に向かって、こう胸に手を当てて、忠誠の誓いをするんですね。『Pledge of Allegiance』って。これを毎日教室でやると、どんどんどんどん自分がアメリカ人化していくんですよ。イジメも当然あって、例えば隣に住んでいた方はパールハーバーで親戚を亡くしたから日本人とは口を聞きたくないと言って、住んでいた五年間の間、一度も挨拶をしてくれなかったり、お店に行くとジャップ汚いから近づくなって言われたりするので、私はもう日本人じゃないんだって自分に言い聞かせて、毎日過ごすわけなんですね。そのうちもう日本語も話せなくなって、親の言ってる事は分かるけど、返すのは英語みたいになって。そんな毎日で、アメリカ人としてみっちり小学校を卒業するまでを過ごしたその後に、日本に帰ってきて、あなたは日本人です、日本の教育を受けましょうって言われるんです。十二歳にして、自分の人格をひっくり返さなきゃいけないっていう作業がとても大変でした。

日本人の中に入ると、またイジメがあるんですね。外国人のくせにとか、日本語書けるのか、漢字書いてみろよとか。なんでこんな事されなきゃいけないのかと思って、私と同じ帰国子女の友人に聞くと、もう英語は忘れたいんだ、私はもう英語が話せないんだっていう気持ちになって忘れたって言うんですね。じゃないと日本で生きていくのは大変だからって。私は英語の本を読んだり、洋楽を聴いたり、映画を見たりしながらなんとか英語を保って社会人になりました。
社会人になるまでの間、親との確執っていうのがありました。母は国立音楽大学を卒業して、ピアニストになろうとしていたお嬢様育ちで、父は三井物産のエリート社員っていう中で、私は一人っ子として生まれ育って、親の期待っていうのがものすごいわけなんです。母はピアニストになってほしい。父は活躍するビジネスウーマンになってほしい。結婚するのはアメリカ人しか許さないっていう父だったんですけれども、とてもしつけが厳しくて、食事の間も話してはいけないとか、容姿の事や性格の事も色々言われて育ったんです。アメリカにいる間は、私は日本人じゃないからあなたたちとは違うのっていう逃げ場を作っていたんですね。日本に帰ってきてそういうわけにもいかず、中学高校と親とは口もきかないような状況で育ちました。
先日、アメリカのテレビ局と引きこもりの人たちの取材をしていたんですが、その時に専門家の方に、若林さんは一歩間違っていれば引きこもりでしたよって言われました。
引きこもりの子供達っていうのは、親の期待がものすごく大きくて、こういう方向にいかなければいけないよっていうのにうまく乗っかれない子、しかも、割とエリート家族の方に多いっていう話なんですね。
帰国子女って聞くと、みなさんどういう感じを受けますか。よくかっこいいねとか、すごいねとか言われるんです。でも、実は中途半端な人格者だと私は思うんですね。アメリカ人として育って、戻ってきて日本人ですって、どっちについたらいいの。あなた何人ですかって聞かれたら答えられないのが帰国子女だと思うんですね。帰国子女の友達同士では、私たちマイノリティだよねって言うんですが、そういう存在だと私は思っています。
厳しいしつけの家で育って、あなたたちの望むような娘にはならないって決めて、短大に進んで、その時に出会った普通のご家庭の方とお付き合いして、二十四歳の時に結婚して、2人子供を設けました。
上の子が十歳の時、三番目の子供ができて順調に妊娠生活をしていたんですが、生まれて2時間後に亡くなったんですね。自然呼吸ができない子だったんです。それはもう悲しい出来事でした。その時は、全部自分で責任取らなくちゃって思ったんです。周りの人はあなたのせいじゃないよって言ってくれたんですが、自分の気持ちは自分で処理するしかないんですよ。
最初に自分がした事は、無かった事にした事です。こんな悲しい事は自分に起こってないっていう気持ちに持っていったんですね。例えば人に会うと、なんで気を使うの?私、ぜんぜん大丈夫よって。ところがそんな事を一年続けてたら、ものすごく無理がきて、精神的におかしくなって、ガラスをバーンって投げて割ったり、自分の気持ちを抑える事ができなくなってしまって。その時夫が、とにかくアメリカに、故郷に帰ってきなさい、自分を見つめ直しておいでって言ってくれたんですね。 

一ヶ月間2人の子供を連れてアメリカに行きました。そこでいろんな方がオープンに話してくれるんですね。そのうちの一人が、実は私も大親友を殺されたのと。その時、教会の牧師さんにこういうふうに言われたと。あなたはその大親友と十年間大切な時間を過ごしましたねって。例えば神様が、その人と出会う前に十年間あなたにかけがえのない友達を与えます。素晴らしい友達です。ただ残念ながらその十年後にその人は他界します。どうしますか。それでもあなたはその人と出会いたいですかって質問されて、その方は、そんな素晴らしい友人だったら出会わせてくださいって答えますって。牧師さんは、そうですよね、あなたならそう言うと思いました。そういう気持ちを持って毎日出会いに感謝して生きてくださいと言われました。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2016/2/25「いのちを見つめる集い」より)

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