ガンディーのように、私はなりたい [245回 H27/12/10]
講師:久郷 ポンナレット 氏 『虹色の空』著者・平和の語り部
講師プロフィール:
1964年カンブジア・プノンペンに生まれる
1975年ポル・ポトによる暴政開始
両親、きょうだい4人を失い、自らも過酷な強制労働に従事させられ、死の瀬戸際で一命を取りとめる

1975〜79年に祖国カンボジアで起こった内戦で両親ときょうだいたちを失った私が、およそ30年をかけて、いかに“その死を受け入れられるようになった”のかをお話します。
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<講演録>

ご紹介いただきましたポンナレットです。よろしくお願いいたします。
お香の匂いがすごく落ち着きますね。やはり東洋人は香水よりこういうお香の方が落ち着きますね。
『いのちを見つめる集い』、ものすごく、尊いテーマですね。いのちを見つめるという響きが、なんて良い響きでしょうと思いました。このテーマに私をお招きいただきましたこと、本当に光栄に思っております。

お手元に、私の今までの活動や心境の変化などについてまとめてくださった記事をお配りいたしました。一番上の記事などは、特に今日お話ししたいことです。三十年かけて、ようやく亡くなった家族を受け入れられるようになったという内容で、今日のテーマにぴったりなんですね。ですから、私の言葉が足りなくても、この記事を読んでいただけると、「あっ、こういうこと言いたかったのね」と、ご理解いただけるかと思います。

ガンディーのように、私はなりたい。映画の『私は貝になりたい』というのをちょっと意識しているかもしれません。ですが、貝は口を閉ざしていますけれど、でも私がなりたいのはガンディーですから、口を閉ざしたりはいたしません。
なぜガンディーかと申しますと、この方は非暴力を貫き、世界平和は暴力では実現しないということを一番実践された方ではないかと思いまして、ガンディーのように非暴力の世界へ一歩ずつ近付いて行きたいという願いを込めて、今回のタイトルとさせていただきました。ただガンディーの場合は、非暴力だけではなく、非服従という信念もあるんですよね。私が体験したポル・ポト時代は、すべてが上からの命令だから仕方ない、自分たちは悪くないというように、みんな言い訳をするんです。命令されても、従うべきか従わないべきか自分で判断するということは、ものすごく難しいと思うんですよ。ただ忠実に従うことが全てではないということについて、考えさせられます。
「あの人、忠実だよね」、って、良い意味に聞こえますよね。忠実とか、忠誠心とか。でも、場合によっては誰かが傷ついたり、誰かの命が理不尽に奪われたりします。私が体験したポル・ポト時代というのがまさにそうなんです。虐殺をした人たちが後に裁判にかけられても、「いや、自分は悪くない。上からの命令に従っただけだ」という一点張りなんです。では、あなたの気持ちはどうなのって聞くと、みんな黙っちゃう。黙るのは申し訳ないからではないんですね。亡くなった人たちに対する申し訳なさとか、あの時はどうしようもなかったとか、遺族としてはそういう気持ちを持っていて欲しい。でも、誰も認めないんですね。当時の主導者のポル・ポトも、その虐殺を命令した人も、みんなもう亡くなっています。そのまま罪をお墓まで持って行かれたような感じですね。忠誠心で命令に従った彼らが、何の罪もない人たちを手にかけた時、「申し訳ないね、上からの命令だから」とか、「俺は本当はそうしたくないんだよ」という気持ちが有ったのか、そこが知りたいのに。 
でも、当時の私の記憶からすると、彼らは喜んでその命令に従っていた。上からの命令で手を下す時に、自分の残虐さもぶつけているようでした。例えば、銃弾が急所に一発当たればすぐに死んでしまうけれど、あえてナイフで首を切ったり、歯を抜いたり、目玉を刺したり。とにかく痛めつけるんです。それって本当に上から命令されたんだろうか。多分、「何をしても良い、好きなようにしろ」と言われていたような気がします。  
彼らは胆嚢を生で飲むという噂もありました。それを飲むことによって、人をいくら殺しても快感になってしまうのだそうです。肝試しというか、お互いの勇気を試すようなものでしょうか。実際にそういう惨い殺され方をした人がいたという証言も、ちらほら有りました。ただ、生き残った方たちも、あまりの惨さに多くを語りたがりません。
地獄絵図というものがありますが、それは人が亡くなってからのものではなく、ポル・ポト時代こそまさに地獄だったと思います。自分の運命が、当時の主導者たちに握られていたんです。私たちが生きるのも死ぬのも、すべて彼らに決定権があるようでした。
私は生き延びました。じゃあ私は運が良いと、心からそう思えるかと言えば、実はそうでもないです。生き延びた人には、生き延びた人の苦しみがあるんですね。生き延びた! これで幸せになれる! とはなかなか思えないもので、どうしても亡くなった人たちのことを考えてしまいます。美味しいものを食べて、「ああ、幸せ」と感じても、これで良いのかなと感じてしまう。好きな人ができて結婚して、可愛い子供が生まれた。「ああ、良かった」。本当にこれで良いのかなって思ってしまうんですね。どうしても、この子を亡くなった親、兄妹に見せたかったって思ってしまう。これも人間の欲深さなんでしょうか。
あの当時は、とにかく生き残れれば、この時代さえ乗り越えられれば他に何も望みはしないと思っていました。いざ生き延びると、今度は勉強し直せたらなぁと、また欲が出ます。勉強できたらできたで、ああ、やっぱり仕事がしたいって。でもこれ、ものすごく自然な人間としての欲です。そんな自然な欲すら起こらず、ただただ生存欲しか無かった。カンボジアの内戦は私たちから人間としての尊厳を奪ってしまったんです。

カンボジアは仏教国です。仏教国というからには、お坊様に限らずみんな最低でも五戒を守らなきゃいけないと思います。五戒とは、生き物を殺さない。他人のものを盗まない。人の夫、妻に手を出さない。嘘をつかない。お酒を飲まない。……なんだか日本のお坊さんはお酒召し上がられるらしいですね(笑)。あと、結婚もオーケーなんですね。カンボジアのお坊さんが聞いたたらみんな日本に来ちゃいますよ。カンボジアでは、出家したら一切女性に触れちゃいけません。どうしても結婚したければ、還俗すれば良いんです。同じ仏教なのに、不思議です。
二〇〇八年にカンボジア語で出版した本の中でそのことに触れたら、カンボジアのお坊さんから「本当ですか?」と散々聞かれました。日本だったらお坊さんも結婚して良いと知って、みんな日本に来たがっているみたいです。お坊さまだって仏さまになるにはまだまだ修行しないといけないようですね。私たちとあまり変わらない。だからせめてこの五戒だけでもみんなが守れたら、社会がものすごく平穏になると思います。
誰かがここに携帯電話を忘れていたとします。そうしたら、「これ誰のー?」と聞きますよね。でもカンボジアだったら大変です。すぐ盗られちゃうんですよ。あの内戦で、カンボジアの社会は大変なことになっています。道徳や人間の心が、衰退してしまったんですね。表面的には、十年前と比べて目覚しく発展しました。でも、カンボジアの人々の心は、あのポル・ポト時代以降、何かを失ったままなんですね。自分のことを棚に上げている訳ではなく、私ももしかしたら誰かに「だからカンボジア人はダメなのよね」と思われているかも知れません。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2015/12/10「いのちを見つめる集い」より)

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