仏教における供養の意味 [244回 H27/11/12]
講師:金岡 秀郎 氏 国際教養大学 特任教授
講師プロフィール:
東京大学大学院修了
東京外国語大学講師などを経て現在、国際教養大学特任教授
モンゴル仏教を専攻
著書に『モンゴルを知るための65章』『文学・美術に見る仏教の生死観』など

日本人の宗教生活でよく使われる「供養」は、長い歴史を持った思想です。仏教がインドから中国・日本に伝わるにしたがい、この思想は幅広く展開し、多様に実践されてきました。ここではその一端を学び、意味を考えてみます。

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<講演録>

皆さんこんにちは。このたびはこうしてご本尊様の前で仏教の「供養」についてお話をさせていただきます。皆さんは常日ごろ「供養」という言葉をお使いになっているでしょうが、いざ説明せよと言われるとなかなか難しいのではないでしょうか。でも、その意味をさかのぼって調べ、学んでみると決して難しい言葉ではありません。今日は、「供養」という言葉を、できる限り分かりやすいようにお話申し上げようと、準備してきました。
 仏教というのはご承知のように、インドの宗教ですね。インド東北の釈迦族の王子様がお悟りをお開きになって、仏の教えといわれるようになった。それが中国、中国というと、全部を含んでしまうので、私は漢民族の文化的な領域ということで、「シナ」と言っておりますが、インドで生まれた仏教が、シナに伝わった。つまり、インド以外の国にとって、仏教は外来の宗教ということになります。
 ということは、仏教の言葉も当初はすべてインドの言葉だったわけですよね。仏教が各地に伝わると、現地のお坊さんとか学者が、そうしたインドの言葉を一体どういう意味だろうかって考えて翻訳したわけです。ですから、漢字の仏教語を理解するときも、もとのインドの言葉にさかのぼって考える必要が出てきます。
この供養もシナにおける翻訳語で、もとのインドではサンスクリット語でプージャナーといったんです。プージャナーは実は非常に日常的な言葉で、「尊敬」って意味なんです。尊敬といったらば、皆さん方、仏様、仏様に尊敬じゃちょっと言葉が足りないくらいですけれども、仏様に敬意を表すっていうのも尊敬だし、死者、亡くなった方に敬意を表すのも尊敬だし、そして生きている人同士で敬うことも尊敬ですから、みんなプージャナーで表すことができる。
 でも日本では生きている皆さんに、「きょうは皆さんを供養します」って言ったら嫌な感じするでしょ。これなぜかって言うと、今の日本では供養と言うと、原則として死者供養、亡くなった人に対する尊敬ということが仏教行事などを通じて一般的になっているからなんで、「俺はまだ生きてるよ」っていう反撥が来ちゃうわけですよ。しかしもとのプージャナーは死者に限ったことではなく、もっと広い意味での尊敬だったんです。
 この言葉が、仏教ではどう使われていたか。これが本日のテーマです。
 仏教徒が何にどのように敬意を表したかというと、まず三宝です。三宝っていうのも重要な仏教の言葉ですけれども、これも供養と同じように、なんとなく分かってるような分かってないような言葉ですね。
 このあいだ正倉院展に行ってきました。ご承知のように聖武天皇がお亡くなりになった後に、光明皇后が陛下の亡くなったことを非常に悲しんで、できる限り聖武天皇のご遺品を残していこうっていうんで、それで正倉院というあの蔵を作った。奈良時代にはいろんなお寺が正倉院というお蔵を持ってたんです。しかし今日までの千数百年残ったのはあの東大寺の正倉院だけなんです。その中のご遺品の展覧会を奈良国立博物館は繰り返し繰り返しやっていて、もう今年(平成二七年)で六十七回目ですよ。 
 正倉院はすごいんですよ。奈良時代の古文書のほとんどがあの正倉院に残っている。その聖武天皇が何をおっしゃったかって言うと、「朕は三宝の奴なり」っておっしゃったんです。奴って奴隷でしょ。陛下がですよ。私たちは今、民主主義の世の中にありますし言論の自由もあるから、仮にこの日本の法律のなかで、「俺は天皇陛下を尊敬しない」っていう人がいたって別に全体主義の国ではないから捕まって処刑されるってことはないでしょう。しかし、奈良時代というのはやはり今とは随分考え方が違う。天皇陛下が大変尊敬されていた。その時代にあって、奴婢だっておっしゃったわけですからね。
 実は「三宝の奴」という思想は、シナに起源を求めることができるんです。六世紀のシナの南北朝に梁っていう国があって、この梁という国に武帝という皇帝がいたんです。この人がやはり熱烈な仏教信者で、朕は皇帝だけれども、仏様から見たら奴婢だということで、「朕は三宝の奴なり」って言ったんです。聖武天皇もこの武帝の時代のシナ仏教の影響を受けているという説があるんです。
 いずれにしても聖武天皇は三宝の奴として仏教を保護された。それ以来、日本の皇室と仏教の関係っていうのは非常に深い。このことは多くの天皇が出家して僧侶におなりになったことからもわかります。皇室が神道一辺倒のようになったのは、明治になってからなんです。そのことは西洋に合わせたっていう説もありますけれど、本来の皇室や日本人は、神道も仏教もどっちも尊重してきた。日本人の80〜90%は神様を尊敬して、同じくらいの数の人が仏教の仏菩薩を尊敬している。そういうことはヨーロッパ人やイスラームの人には分からないんですよ。じゃあこいつら何教徒なのかって。
 でもそうした考え方は聖武天皇よりももっと前の聖徳太子のお父さんの用明天皇にさかのぼることができる。古来からある日本の神様も、大陸からいらした仏様も、どっちも大切にして排斥することはよしましょうねっていうこと、そう用明天皇がおっしゃったと『日本書紀』に書いてある。それ以来、私たちはおめでたいときに神社に行って、不祝儀があったときにお寺に行ってって、それにあまり違和感を感じないできた。みんなお互い仲良くしちゃうっていうことで、この三宝の奴、そうおっしゃった聖武天皇も同じで、神様も大事にしつつ仏教の奴になる。
 じゃあこの三宝というのは何かと言うと、仏法僧ですよ。仏法僧。仏というのは仏教をおひらきになったお釈迦様。それから大乗仏教の時代になれば仏様と言えば阿弥陀様がいらしたり、それから大日様がいらしたり、阿閦如来(あしゅくにょらい)がいらしたり、いろんな仏様が信仰されてきましたが、歴史上のお釈迦様、仏教の仏と言えばまずお釈迦様と考えていい。このお釈迦様がお説きになったものがダルマ、漢語でいえば法ですね。思想内容と言ってもいいです。お釈迦様のお口を通じて、お釈迦様のお口で説かれたことは仏典では獅子吼、ライオンが吼えるって書いて獅子吼って言いますけれども、仏の説いてくださった教え、これを法という。そしてこの仏を尊敬し、法を学び、実践する専門の人たちを僧というわけですよ。これが仏法僧です。その三つを三宝といった。
仏法僧のことを尊敬しろと仏典には書いてあるけれども、私も僧の末席にいますから、自分のことを考えると仏・法のことは言えるんですけれど、僧まで尊敬しろということを檀家の方には言いづらい。奈良時代・平安時代の古代仏教のお坊さんは、難しい勉強してお坊さんになった挙句、結婚もできないし、非時食(ひじじき)って言ってお昼すぎたら固形物食べられないし。スーパーマンだったわけです。そういうの見たら、天皇陛下ですら三宝の奴になっちゃいますよね。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2015/11/12「いのちを見つめる集い」より)

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