お釈迦様の終活 [241回 H27/5/28]
講師:互井観章 師 日蓮宗経王寺 住職/仏教情報センター相談員
講師プロフィール:
東京都新宿区出身
北里大学獣医畜産学部卒業後、アメリカで酪農に従事
帰国後、出家し僧侶となる
「あなたの心の診療所」をモットーに、さまざまなイベントや行事を積極的に行う
お寺の門を開け放ち、ご縁を生かしたコミュニティ作りを目指しアクティブに活動

「終活」とはいったいどういうことなのでしょうか。終活の本当の意味と、お釈迦様がどのような終活をしたのかお話いたします。

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<講演録>

みなさまこんにちは。互井観章でございます。
つい先ほどの話なんですが、高校生のうちの息子は今試験中で、昨夜も徹夜で今日は勉強するからと言って部屋に籠っていたのですけど、寝てしまったらしいんです。当然、テストはダメだったんでしょうね。ブスっとした顔をして帰ってきました。もうちょっと早めに準備しておけば良いのにと思うんです。まあ、一夜漬けじゃどうにもならないと彼が一番分かっているはずなんです。皆さんも頷いている方がいるっていう事はそういう記憶や経験がおありなのだと思いますが、一夜漬けじゃどうにもならないんです、私達って。しっかり準備しておけば何も慌てる事はないのに、私達は何も準備をしないで大切な時を迎えてしまうというのが多々あるわけでございます。
その最たるものが、やがて誰の身の上にも降りかかってくる、死の瞬間でございます。
その旅立ちの準備をするというのが、今話題になっております「終活」です。
今日はお時間を頂いて皆さんと終活についてお互いに考えてみたいと思っております。

まず終活とは何か。こういう字を書きます。終わりの活動。その定義を色々と調べてみました。
「終活とは、人生の終わりのための活動の略であり、人間が人生の最後を迎えるにあたって行うべき事を総括した事を意味する言葉である」じゃあ具体的にどういう事なのかというと「最後まで自分らしく生きる」あるいは「人生の終わりをよりよく締めくくるための準備」それから「より良く自分らしく生きていくための活動」
もう一つは、「大切な家族のために、そして自分のためにありがとうを伝える活動」
だいたいこの4つの事柄が終活の意味なのだそうです。
なるほどなと思うような言葉ばっかりです。でも例えば「最後まで自分らしく生きる」とは一体どういうふうに生きていくのだろうなって、もう一歩踏み込んで考えてみるとこれがなかなか自分らしく生きるとは難しいんですね。
何が自分らしいのかって改めて考えると、自分っていったい何なんだろうな、なんて事に突き当たってしまいます。

「人生をよりよく締めくくるための準備」これも難しい。うちにお参りに来るおばあちゃん達が、ぴんぴんころりが良いって言います。ぴんぴん元気に生きて、死ぬ時はころりと死にたいという希望なんですけれど、なかなか叶わないんですよね。人生の終わりをよりよく締めくくるためにはどういう準備をしたら良いのか。色々な問題が山積みになっていたりします。その問題を解決したならば、この苦しみ、死というこの苦しみを乗り越える事ができるんですよと謳っているのが終活なんです。

じゃあ例えば死んだ後に一体どんな事が待ち受けているのか、それがはっきり分かったらもっと気持ちが楽になるのかどうかという事をちょっと皆さんと考えてみたいと思います。
死んだ後、一体何が待っているかというと、死後事務ですね。遺体の引き取り。それから葬儀、埋葬、納骨、永代供養等に関する事務を誰かがしなければいけない。亡くなれば家族親族その他関係者へ亡くなった事を連絡しなければいけない。他には、相続財産管理人の相続に対する問題です。この問題が亡くなった後当然出てきます。これが結構皆さんの心を悩ます問題になったりするわけです。大概は、うちなんて何にもないからなんて言う人ほど怪しいです。
そういう方に限って結構色んなものがあって、後で大揉めになるというケースはよくあります。
あと自宅の撤去や明け渡し、賃貸なら精算事務。それから家財道具の整理。
色々な税金の未払いの責務、相続人との財産の引き継ぎなどがあったりします。
まあこれが大体大きなところですけれど、大変なのがペットの管理です。ペットを飼っていた場合ペットが残されちゃいますから、ペットをどうするかという事が多々あって、これをどうするんだって、皆悩んでしまいます。

終活という事を考えた時に、これ全部を自分で解決しなくてはいけないってなったら大変です。
今からの生活も色々考えていかなければいけない。その間にやらなきゃいけない事も沢山あるなんていったら、とてもじゃないけどより良く人生を前向きに生きていくなんて気持ちにはなれないわけです。
そんな事を本当に考えて実行しようと思ったらできないんです。できない事を一生懸命やらなきゃいけない。
だから今の終活って、ひょっとしたらなんか間違っているんじゃないかな、なんて気がします。

今、沢山の事を言いましたが、これ全部をやる必要は全くありません。全くないです。
なぜならこれは皆さんが死んだ後、誰かがやります。全部なんだかんだ言って誰かがやってくれるんです。
皆そうやって生きているんです。いやいやだって私、家族がいないんですよと言う方がいらっしゃいます。
大丈夫。家族がいない人でも絶対誰かがやります。間違いないんです。

最低限このくらいやっておいたら気が楽かなっていうのをお話しします。安心して暮らすための解決方法。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2015/5/28「いのちを見つめる集い」より)


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