身近にある仏教のことばと行事 [235回 H26/10/9]
講師 尾崎 正善 師 曹洞宗 徳善寺住職
講師プロフィール
 鶴見大学 非常勤講師
 曹洞宗総合研究センター 講師
   
 仏教思想が日本文化に与えた影響について、身近な言葉や行事を通して考えていきます。

著書に
「よくわかる曹洞宗の行事」(曹洞宗宗務庁)
「孤高の禅者 道元(日本の名僧9)」(吉川弘文館、2003年、共著)
などがある。


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<講演録>

 ただ今ご紹介に預かりました尾崎正善と申します。よろしくお願い致します。
 「命をみつめる集い」ということで、仏教の思想・言葉というお話をします。
私は、鶴見大学で学生には専門である曹洞宗・禅宗の儀礼・法要ではなく、文化史的な側面から宗教を教えております。宗教、主に仏教で、それが日本の文化、思想、歴史の中でどのような影響があったか、今我々が行っている行事や言葉の中に、知らず知らずのうちに仏教的な考え方、思想というものが入っていることを話しています。
仏教に興味のある皆さん方は、すでにご存知のことも多いかもしれませんが、そうした面から日本の仏教を捉えています。
ある方が講演会で、「日本の文化から仏教を抜いたら何も残らない」というような言い方をしました。そこまで極端には思いませんが、かなりスカスカなものになるのではないかと思います。日本の思想というと、例えば神道や民間信仰儀礼も非常に強いといいます。けれども、そういう中に仏教の思想や儀礼が織り込まれているのです。
 本日は、そうした複雑な絡み合いをしている背景を、言葉を通して見直してみたいと思います。お手元の資料の一枚目は、仏教と日本文化です。これは改めてお話しするまでもないと思いますが、再確認という意味で載せさせていただきました。仏教伝来以来、様々な形で日本の文化、思想の中に仏教が影響を与えてきた過程を述べています。
 結論として、江戸時代以降になると意識するしないは別として、一般の人たちの考え方や言葉やことわざのレベルにも仏教思想が広がって行くのです。つまり、無意識のうちに仏教的な土台の上に、文化や思想というものを構築していくことになります。
様々な面で仏教が日本の文化、思想に影響を与えて来ました。
 第一に言葉の中には、一般の人が直接読んで理解して使用したのではなく、お坊さんが使う、説教する、そして実際にその主要な言葉を紙に記して示して行く。
経典の言葉も出てきますが、そうして庶民のレベル、普通に会話の中に入って来たと思います。
 第二に建築とか庭、美術工芸の話です。日本の伝統的な建築様式で、書院造り、違い棚、さらに枯山水などがあります。それらに仏教の与えた影響は大きく、奈良、京都、鎌倉、東京の有名な寺院の建築様式は、広く一般家屋にもおよぼしているのです。

 さて本題に入ります。日本の中の仏教ということで、以下は、仏教語をなるべく沢山載せようとして作った文です。文章がおかしいのはご容赦下さい。

 友人のAさん宅に伺うために、喫茶店で待ち合わせ。
 自宅へ赴き、玄関で御挨拶。早々、客間へ通されると立派な床の間。ダンナさんは律儀な方で親切なおもてなし。ご迷惑をかけますと無作法をわびて、勧められるまま座布団に座ってしばらくは、世間話。
 最近の知事の発言は、融通が利かず堂々巡りの退屈な論議ばかり。工夫がなく、どうにも我慢がならないとご機嫌斜めの様子。もう少し品位をもって上品に大衆に接し、真実をうやむやにすることはなく、親切に説いてほしい。政策には、絶対的なものはなく、相対的に見なければ。実際、正直にいって今年が正念場ではないか。
だめなら金輪際支持しないと、啖呵を切る始末。
 そこへ大学の息子さん。単位取得に四苦八苦しているなど、最近のごたごたを話してくれました。大学に合格して有頂天になっていないで、学生として向上心をもって勉強を頑張らないとしっぺ返しがあるよ、初心を忘るべからずだ。人間関係でも往生しているというので、大袈裟な振る舞いは控えて、独り相撲にならぬように。君は、少し仏頂面で無造作な所作も目立つから、変にうろうろしていると、誤解をまねくかも。
付き合いは、億劫がらずに、気をつけてね。
 将来は、どこかの研究機関の講師に志願したいとか。
懸命な努力と殊勝な覚悟があれば絶対大丈夫と言ったけれど、自覚が足りずに奈落の底へ落ちることの無いように。その努力が、オシャカにならないことを祈るばかり。
 夕食は懐石料理をごちそうに、その醍醐味を堪能しました。

文章が悪いのは突っ込まないで下さい。中には、強引に引いているのもあります。
例えば「相撲」などです。『古事記』等に出てくる言葉なので。
仏教が原典という訳ではないので少し差し引いて読んでいただきたいと思います。

【喫茶】
 お茶を飲む習慣は、臨済宗の栄西が中国に行ってお茶を持ってきました。無論、お茶自体は奈良時代から入っているのですが、お茶の効用を説いた『喫茶養生記』というものを著し、薬としての効用、作法を説き、お茶を飲む習慣が生まれる。時代が下ると茶道という形になっていきます。

【玄関】
 玄は、幽玄なる、関は関門で、玄なる関門で玄関ということです。玄関は、禅宗の建築様式です。玄関の無いお宅はないと思いますが、平安時代の寝殿造りには玄関はありません。つまり、毎日毎日幽玄なる関門、悟りに至る関門を通っているのです。

【御挨拶】
 挨拶の挨というのは押す、拶は迫るということです。
これは相手にぐっと押し迫るということで、問答のことです。
禅宗では、師匠が弟子に修行の途中で、本当に分っているのかと質問することです。

【床の間】
 床の間は先ほど言いましが、禅宗の建築様式で書院造りです。
立派な床の間のあるお宅はすっかり減りました。

【ダンナさん】
 旦那さんも説明するまでもないですが、檀那(ダーナ)です。
布施をしてくれる人のことです。
【律儀】
 律というのは戒律の律で、戒律とは、仏教徒としてのルールです。
インドでできた戒律で、様々な儀則をしっかりと守るというので、律儀(りつぎ)と書いて律儀となる訳です。

【親切なおもてなし】
 親切も、一般によく使いますので、仏教語に限定される訳ではないのですが、「老婆心切」のように、禅語では、よく出てくる言葉で、親切は、深く接する。
もしくは気持ちが切であるということです。
老婆心切、「親を切る」という書き方、「深く切る」「心を切る」とも書きます。

【迷惑】
中国でもちろん昔から使用していたと思いますが、『華厳経』や『法華経』などで、「理」と「事」という仏教の教理、その関係を誤る、明らかにできないというのが迷惑である、という定義が経典の中に出てきます。

【無作法】
作法も修行者の日常の所作ということで、道元禅師の『典座教訓』などにもでてきます。あえて仏教語とは言いませんが、経典に広く使われます。

【座布団】
 座布団は、ガマを丸くしたもので、「蒲団」とも書きます。
団というのは丸い、団子の団です。これはガマの穂などを詰めて丸くしたものです。
現在、座布団と言うと、四角のものをイメージすると思いますが畳を用います。
畳が一般化するのは、時代が下ります。鎌倉時代は板の間が中心で、この畳も現在より薄い「御座」です。ゴザというと現在は薄いものですが、かつては天皇が坐ったところです。「百人一首」などに出てくる色のついた四角いもので、御座(おんざ)です。
ですから、高貴な方のお席で、その上に四角い布を敷きました。
 鎌倉時代に禅宗が入ってくると、坐禅のときの座席として「坐蒲」というのが入ってきます。ふかふかで、中にガマの穂なんかを入れて、お尻の下に敷いて坐禅を組むときに使用します。ですから、厚い座布団にみなさんが座れるのは禅宗が入ってきて、坐蒲を持ってきたからということになります。

【世間話】
 世間というのは世の間のことで、世間・出世間というのがあります。
我々が住んでいるのが世間、それを出たところの悟りの世界が出世間と言います。
迷いの世界が世間で、迷いのない世界が出世間です。

【最近の「知事」の発言】
 知事は事を知るということで、これも禅宗の役職です。
一般の会社でも、社長がいて人事部・経理部と分かれるように、大きな寺院では、法要を司る係、食事を作る係、修繕をする係と役が別れます。
この係の上司は六人いて、会社で言う部長を、禅宗では知事といい、よくものを知っているという意で、六知事といいます。この禅宗寺院で使っていた知事という名称が、中国で地方の長官の名前となり、また日本にやってきて県知事などというようになりました。
 だから、一般で使用していた役職名を寺院の中に取り込んだではなく、寺院で使っていた名称が、地方の長官の名前として使うようになりました。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2014/10/9「いのちを見つめる集い」より)

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