仏教行事と和讃 [233回 H26/5/22]
講師:安孫子 虔悦師 浄土宗 正覚院住職
講師プロフィール:
 仏教情報センター 前理事長
 公益財団法人国際仏教興隆教会 理事
 東京都仏教連合会 幹事
 大本山増上寺布教師会 副会長
 大正大学 幹事

 仏の教え、式の仏教行事は和讃の詩歌にやさしく、深く説かれています。一緒に唱え、感性を響かせて、生かされている事の喜びを味わってみましょう。

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<講演録>

皆さんこんにちは。このお寺の住職をしております、安孫子虔悦と申します。私は浄土宗の僧侶ですから、本日は浄土宗的な物の見方になろうかとは思いますけれども、仏教行事と御和讃というようなテーマでお話を進めさせていただきたいと思っています。
今向いのお寺さんから、カンカンカンと鐘が聞こえてきたかと思いますが、ちょうど浄土宗は御施餓鬼のシーズンなのです。「せがき」と言いますが御存知でしょうか。この正覚院も先だって十七日、無事勤めさせていただきました。
そんなことで一年を通し、どんな仏教行事があるかお話したいと思います。皆さんは菩提寺をお持ちかと思います。年中行事のご案内などもいただいておられるかと思いますが、季節を通した様々な仏教の行事が多いと確認していただいて、お釈迦様の教え、あるいはその各宗派の祖師の教え、また自分の生き甲斐など、その行事から汲み取ることができたらこんなに良いことは無いと思うし、また行事をやる意味がそこにもあろうかと思うところでございます。

【和讃とは?】 
和讃という言葉は初めての方もおられるかと思いますが、日本の音楽の一つの基本になっています。宗教音楽の根本は例えばキリスト教ですと、讃美歌といって非常にきれいなお声で、伝承音楽に合わせて歌われます。仏教の場合は、雅楽とか楽器の奏楽の外に、お声を出して歌う仏教讃歌がありその一つに御詠歌があります。
 それでは、和讃とどう違うんですか?となりますが、そのメロディーや言葉はほとんど和讃も御詠歌も違わない。けれども一つ一つ大きく分けるならば、和讃とは「仏の教えや、祖師たちの御徳を、七五調の和語にして誉め称える讃歌」とまとめさせてもらいました。
 じゃあ、その七五調のお歌にまとめたのはどなたか?鎌倉、平安時代くらいの昔の祖師方がまとめた七五調のお歌や、それから比較的新しく、戦前戦後にできた七五調のお歌もあろうかと思います。
浄土宗の場合ですと御詠歌と和讃の違いは、宗祖法然上人様が直接歌われた歌が三十何種あると言われており、それにいわゆる作曲家が節やメロディーを付けると御詠歌といいます。その中には非常に新しい御詠歌もあれば、古歌と言って誰が作ったかわからないような曲や歌もあります。
もう一つは、仏教行事やお釈迦様の一生涯をずっと七五調に、あるいは一つの言葉として文章として述べて、それに曲を付けたのが和讃となります。この辺の違いだけを少しだけ頭に入れていただければ、そんなに迷うことは無いかと思います。
本日お唱えする和讃の中には、とても難しくて歌えません、なんて曲は一つもありません。お家の中であるいはお子さんやお孫さんの前で、こんな和讃をお寺に行って覚えてきた、習ってきたよと、ぜひ広めていただければよろしいかなと思うところでございます。
日本の四季は色々ありますが、一月といったらお正月。二月は節分。あるいはお釈迦様が亡くなった涅槃会。三月はひな祭り。ひな祭りが過ぎますと、どこのお寺さんも多くの方々が先祖参り、お墓参りをする彼岸となります。四月に入れば花まつり。花まつりが過ぎたら五月。
ずっと一年、仏教行事ばかりではありません。民族的な行事が沢山あり、その民族的な慣習を我々はずっと否応なしにも、それを経験した上で皆それぞれ成長して、日本の素晴らしさ、その根底には仏教の教えもありますが、大変その辺のことが身体の中に入っていることも事実でございます。その辺のことを踏まえて、皆さんに和讃をお唱えしながら味わっていきたいなと思います。

【修正会御和讃】 
まず何といっても一年の始まりは正月。これまた日本の文化とは面白いもので、突然正月が来る訳じゃありません。十二月から一月、古い年から新しい年に変わります。ですから、大晦日を経て初めて新年あけましておめでとうございますとなります。全てが突然に新年を迎える訳ではございません。
そうすると、大晦日の行事がいかに大事か。なぜならば、悪い穢れなどを捨てて身を清め、新しい年を迎えましょう、そして正月になったら、そこでお祝いしましょう、初日の出お参りしましょう、とこういうふうに連続していきます。本日は便宜上、はじめを正月からとさせていただきます。
皆さん、正月の三が日に寺院で行う法要のことを修正会と言います。修正の読み方は「しゅしょう」と言います。修正会御和讃というのが最初によろしいのではないかと思います。少しだけ弾いてみますので聴いてみて下さい。非常に穏やかで、お唱えし易やすいかと思います。
お唱えの付は、「唱え奉る 修正会御和讃に―…」と、こう入ります。全部の曲がそうでございますので、出だしは私がいたします。

一番 「唱え奉る修正会御和讃に―… 迎えて今朝は 新たまの 年のはじめの初参り香華(ころげ) 若松 荘厳(かざり)餅(もち) 妙供 調え 幸祈る 天下和(てんげわ)順(じゅん)の 祝聖文 いのちと光 きわみなし」

修正会御和讃の一番でございました。天下和順という、平和でありますようにと願います。
また、一月は、法然上人様が亡くなった月ですから、本来ここは『御忌和讃』が入ってもおかしくございません。

【涅槃会御和讃】 
二月になりますと、仏教では、お釈迦様の亡くなった月ですので涅槃会法要があり、うちでもこの壁に涅槃図が下がります。沙羅双樹の所でお釈迦様が最後に横たわられて、沢山のお弟子さんに見送られて亡くなっているお姿。皆さんも見たことがあろうかと思いますが、その涅槃図を想像しながらお唱えするのがこの涅槃和讃になります。
本日は涅槃和讃の一番と六番に非常に意味がありますので唱えてみたいと思います。そうすることによってお釈迦様の姿が直に目に浮かんでくるのではなかろうかと思います。

一番 「唱え奉る涅槃御和讃に―… 拘夷那(くしゃな)城外(じょうがい) 日は落ちて 沙羅の林の 夕まぐれ 教化の道の 涯しなく 世尊は旅に 病み給う」

六番 「金棺すでに 閉じたれば 二月十五の 月暗し 荼毘(だび)の煙は ヒマラヤの 峰はるかなる 雲と消ゆ」

この涅槃和讃を一番から八番まで唱えることによって、涅槃の状態、そのお姿が見えてくる歌詞になっておりますので、これもお家で味わっていただければなと思います。

【彼岸御和讃】 
三月に入りますと宗派を問わず、昔から彼岸会というものが賑わって参りました。彼岸とは、彼の岸と書きますから此の岸に対する言葉で彼の岸と言います。ただ、この岸=この娑婆の世界から、彼の岸=理想の世界、私どもで言えばお浄土の世界、悟りの世界に行くために、この仏道に励みましょうということです。
先祖参りしましょう、仏壇にお参りしましょう、これも大事なことですが、この彼岸は自行です。自分で励むことを六つの「六波羅蜜」という言葉がありますが、その六つの行いの中に、各宗派の各祖師の言わんとするところを込めました。例えば真言、天台、浄土、禅、それぞれの仏道に励みましょう、仏道に励むからこその彼岸、パーラミター、到彼岸と言って、彼岸にわたるという行動を表すことになります。私たちはそのことをきちんと踏まえて、ご先祖様にお参りして今頑張っていますからこの姿を見て下さいと報告に行くのも、彼岸会の墓参り、先祖供養会になろうかと思っております。
彼岸和讃は一番と二番の歌詞が続けて書いてありますので、よくご覧になって下さい。

一番 「生きとし生ける いのち皆 三界流転 定め無し われら仏性 具せる身は 仏の道に 目覚むべし ただ吉水の 行者にて 弥陀の名号 称うれば 嬉しや 花(月)の 春(秋)彼岸 修善奉行の 浄土なり 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏」

二番 「菩提を願う 人は皆 勝縁すでに そなわれり 日々に念仏の 積りなば 生死の憂い 離るべし ただみ仏に生かさるる 弥陀の名号 称うれば 嬉しや花(月)の 春(秋)彼岸 自他善根の 浄土なり 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏」

春の場合は嬉しや花の春彼岸、秋の場合は月の秋彼岸とこうなります。最後、宗派によっては抵抗があろうかと思いますが、あえて私が教わっている、このままを載せさせていただきました。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>

(2014/5/22「いのちを見つめる集い」より)


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