病める者を供養(看病)することは、み仏を供養(看病)することと同じである [231回 H26/3/27]
講師:今田 忠彰 師 日蓮宗妙徳教会 担任
講師プロフィール:
日蓮宗ビハーラネットワーク」世話人代表
「有限会社 妙徳ビハーラ」代表取締役
グループホーム「たちばな」ホーム長
府中刑務所教誨師保護司

健康に過ぎたる宝物は無いが、老若男女、誰でも病を得ることはある。そんな時、介護・看病をしてくれる人がいることは、何よりの幸せである。
  日々、介護・看護に携わる者として、お釈迦様の教えを紹介しながら介護・看病する者の心構えを、皆さんと一緒に学びたい。

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<講演録>

私は日蓮宗妙徳教会担任の今田忠彰と申します。今日は「病めるものを供養、看病することは、御仏を供養、看病することと同じである」というお釈迦様のお言葉をテーマにしてお話をさせていただきます。
私はお寺の生まれではなく、在家の生まれです。昭和二十五年生まれ、二歳の時に父が突然亡くなって、私は親戚の家に預けられたり転々としておりました。縁があって私が生まれた家のすぐ近くにあったお寺のご住職が一人でいらして、跡継ぎはいないし困っているという話を聞いて、十歳からお寺に養子に入り、今に至っているところであります。
私が十五歳の時に住職が亡くなってしまい、隣組のお寺の代務住職に守っていただいて、私は大学を卒業してから跡を継ぐという形になりました。それまでの間は生活にも困るような状態でございまして、そんな時にお寺の片隅を駐車場にして人に貸したり、今まで自分が住んでいた場所を空けて本堂の片隅で生活をしながら部屋を貸したりしてその家賃収入で暮らしておりました。
しかし、その中には悪人もいて、色々悪いことをされて困っている時に、私は六法全書に出会って勉強を始めました。当時は無料法律相談などに行って、悪いことをされて困っていますと話をして助けてもらったことがありました。これは良い手段だなと思い、本当は大学では仏教学部に進まなければいけないところを、お師匠様に内緒で法学部の受験をして、将来は弁護士になろうと、これで世の中の悪い人を叩いてやろうと変な安い正義感を持って勉強をしていきました。大学に合格した後、お師匠様に報告すると叱られましたが法学部へ進学するお許しを頂きました。ただし、卒業したら仏教学部に編入してお坊さんになり、世の中の役に立つように、人助けになるようにしていきなさい、というお言葉を頂きました。
ところが勉強をしていくうちに、この世の中には本当に色んなことがあって、法律で人を助けるといっても、結局は尻拭いをすると言いますか。例えば何か悪いことをして、お金を騙され、お金が戻ってくればまだ良いのでしょうが、すぐ返ってくるわけではない。災害の起こった時には、賠償してもらっても、お金で命は買えないわけです。本当に世の中を良くしていくのは宗教ではないのかと思い、軌道修正をしてお寺に戻ってきたわけです。それから、色んな方たちとお付き合いをしていくうちに、お寺として本来あるべき姿はなんだろうかということを考えるようになり、現在に至っているところであります。
私のお寺は妙徳教会という小さなお寺ですけれども、「妙徳ビハーラ」という会社を設立して、二足の草鞋(わらじ)を履いているということですが、決して営利事業をしているつもりではなく、お寺としての二つの両輪の輪を運営しているというふうに自負しております。
今、私はビハーラ活動というのを自分のライフワークとしていきたいと考えております。ビハーラは古いインドの言葉で、その語源は、《安らぎの場》《精舎》つまりお寺です。ホッとする所と思っていただければ良いと思います。日蓮宗では「ビハーラ・ネットワーク」という活動があるのですが、その定義をご紹介したいと思います。「医療や福祉や地域社会との連携のもとに、寺院において、自宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢化に悩む人たちと、苦しみを共にし、精神的身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるように支援する活動」と申します。
現在の私の活動としては、お寺から、お坊さんから外へ出て行こうということで、どういう風にすれば人との関わり、接点を持てるかを考え、社会参加型の仏教というものを目指し、平成十四年に妙徳ビハーラという会社を興しました。この妙徳ビハーラで、居宅介護支援、いわゆるケアマネージメントと訪問看護と訪問介護と介護タクシーを行っております。平成十六年に高齢者グループホームの「たちばな」、それから二十年には「たちばな弐番館」というものを設立して運営しております。
寺院、僧侶が一番に社会に役立つものと」は、本来の活動である信仰や世の中に仏様の教えを広め、世界を仏様の国にするということだと思いますが、それと同時に両輪の輪として、色々な社会的な貢献活動があって良いだろうと考えます。
他のお坊さん、お寺は色々なそのお寺の立地条件、あるいはそのお坊さんの特技によって色々な活動を行いますし、お寺を開放してお茶会、サロン活動をする人がいます。そういうものは最近のものではなく、例えば檀家制度が導入された江戸時代より昔の日本のお寺には救貧、救療施設があったり、行き倒れた人を介抱したり、病院があったり、学校があったりします。なそれので、特別新しいことではなく、昔々お寺が持っていた活動をもう一度思い出そうという発想であります。
私のビハーラ活動の事例を紹介する前に、現在の社会についてお話をします。特に今、高齢社会、それから子供が少ない時代であります。核家族、一人所帯が多い世の中になってきています。特に団塊の世代が、高齢者になって介護を受けるような時代になってきて、高齢社会と言われています。
在宅看護、介護の期待は今世の中では、自宅で死にたいという希望を持ってる方が沢山います。ところがもっと時代が進んでしまうと、自宅で死ななければならないという逆の事態が出てきています。
病院というのは病気を治すところですから、病気が一応治ったところでは退院して下さいと言われます。しかし、退院する先がないと、自宅に帰る以外にない。ところが、完全に治っている訳じゃではない。自宅に家族がいれば良いのですが、いないと家事は一人でしなければならない。食べ物が十分食べられず、水分が取れないと、餓死したり、脱水状態になり兼ねないわけであります。そういう時に往診のお医者さん、訪問介護の人がいてくれれば良いのですが、それが十分に叶えられていない。そこで、自宅で死にたいというのではなく、自宅で死を迎えざるを得なくなるわけです。老人ホームなどに入りたいと思っても、特別養護老人ホーム五千人待ちって言われるくらいです。日本は大変に医療、介護、看護ともに進んでいる国ですが、これを見るとおよそ先進国には見えないような世の中になっています。
私がなぜこの仕事をしているのか、始まりを紹介したいと思います。私がまだ三十代の頃、十四歳の姪っ子が白血病になってしまいました。今でも治療の難しい病気であります。親は子供に病名を告知しないということを決めて、病気がじっとしていれば良いということで、生活をしておりました。しかし病状は一向に改善しない。子供心に、だんだん不安になってきて、医師にも親にも自分はどういう病気なのか、自分は将来どうなっていくのか、その不安を訴えるわけです。そんな中、医師に言われたのは「私は医師として、医療には責任は持ちます。あなたはお坊さんなのだから、この子の心のケアをしてほしい」と言われました。
さて、どうしようか。その子と向き合って私が大学で勉強した六法全書を振り回してもしょうがないし、仏教学部で勉強した釈尊の仏教観、釈尊の生命倫理観を話してもしょうがない。大学で難しいことを勉強しても、目の前の子供に分かりやすく仏教の教えを説きなさいということがいかに難しいかを痛感しました。一生懸命自分なりにしたつもりですけれども、残念ながら十七歳でその子は亡くなりました。お葬式では泣きながらお経を上げたことを覚えておりますが、自分の不甲斐なさを詫びる毎日でございました。自分は情けないお坊さん、人間なのだと思っていた時に、偶然、日蓮宗で第一回ビハーラ講座が開かれました。その講座に参加して勉強をして、これこそが私の一生の仕事だって思った時に、色々な出会いが増えていきました。


<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>



(2014/3/27「いのちを見つめる集い」より)

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