いのちの問答 [230回 H26/2/27]
講師:前田 宥全 師 曹洞宗 正山寺住職
講師プロフィール:
「自死・自殺に向き合う僧侶の会」 共同代表
「財団法人メンタルケア協会」 指導精神対話士

面接相談や手紙相談、ひきこもりの青少年との対話経験からいのちを見つめる。参加者と共にいのちを見つめ、現代を生きる術を見出していきたい。

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<講演録>

私は曹洞宗の僧侶で、港区三田の正山寺で住職をしている前田宥全と申します。普通に読むと「ゆうぜん」と読んで下さる方が多いのですが、私が出家を決めた時に父が付けてくれた名前で、明の読みで「ゆうせん」と読むと言われてきております。どのような意味があるかというと、この字には、「ゆるす」という意味がありまして、すべてを「ゆるす」というような僧侶になるようにとの父の思いが込められているそうでございます。それを聞いてから私もすべてをゆるせるように何とか頑張りたいと思っておりますけれども、中々に修行不足で葛藤を続けております。
今日はご縁を頂きまして、本当に有り難く思っています。私の生まれ育った地がこの深川でございまして、富岡町というところがあります。駅で言うと門前仲町という地下鉄の駅がございます。私は永代寺という真言宗の寺で三男として生まれました。
私の実家は深川不動尊という大きなお寺の参道にある、小さな寺でございます。後々詳しいことはお話しますが、母が正山寺の次女として生まれ、正山寺から今の永代寺に嫁ぎ、そこで私が生まれました。この深川という地は私にとってとても思い出の深い、色々な思いのある土地でございます。こうしてご縁を頂いて帰ってきますと、やはり、この土地の匂いを嗅ぐことによって、すごく落ち着くなぁ、木の香り、また潮の香りが今でも残っているなぁと。そのようなことで、私としてはとても有り難いご縁を頂いたなと思っております。
縁というお話をしましたが、ご縁というと、おそらく皆様は良い縁を思い浮かべるのではないかと思います。例えばあなたにはどのような縁がありますかとお尋ねすると、「私は学生時代にこのような人と出会って、その縁によって今の私があるんだ。」と。あるいは「恩師との縁があって今の私がある。」というような使い方をするのが多くの場合の縁ではないかなという風に思います。私にもそのような素晴らしい良い縁というものが沢山ありながらも、僧侶になるという縁を頂いたのは、どちらかというと避けたかった縁によって、僧侶である今の私があるのかなという風に思っております。
私は三男ということであまり寺の息子ということを意識して育っておりませんでした。いよいよ高校受験を考えなくちゃいけないとなった時に、非常に動物が好きでございましたので、獣医になりたかったのです。高校受験前にいよいよ願書を取りに行かなくちゃいけないとなった時、獣医になるために考えた志望校に願書を取りにいきました。願書を取りに行ったその帰りに、同じ沿線にある私立の学校があり、そちらの願書もついでに取っておこうと立ち寄りました。
その学校はちょうど私が願書を取りに行った時に夕暮れの中で野球部が一生懸命、泥だらけになって練習をしていました。私は中学生の時に野球と陸上をしておりまして、先生から「お前、野球の推薦でも良いんじゃないか?」とそんな話も頂いておりました。その野球部員のひたむきな姿にものすごく感銘を受けまして、ここの野球部に入ってみたいな、なんてことを思ってしまった結果、そこの学校の野球推薦ということで、私はその学校に入った訳でございます。推薦入学のため、春休みも入学前から練習に参加していました。上級生もとても良くしてくれたんですけれども、入学式を迎えたその途端に、ガラッと上級生の態度が変わりました。当時はヤキといって、要するに下級生を上級生が甚振ることです。有能であるかないかということは関係なく、本当に今では考えられないことをされました。練習が終わりますと一人一人上級生に呼ばれて、コテンパンに殴られる。ある時は鼓膜を破られたり、ある時はバットで足や腕を折られたりする。
私にとっては、できれば避けたい出来事だったのですけれども、実は高校一年生の時、秋の大会で私が一年生ながら生意気にもセカンドというポジションをとってしまったために、それまで守っていた上級生が、練習をしているところに横から硬球を投げてきました。硬球というのは触ったことがある方は分かると思いますが、ほとんど石のような硬さです。それを投げられた時に、左目の脇に直撃して、眼球を支えている周りの骨が砕けてしまいました。当時お世話になっていた聖路加病院の眼科で診ていただいたら、おそらくこれは失明を免れないだろうというようなことを言われました。
いよいよ手術をするような時になって、主治医が、この砕けた骨に埋もれてしまった眼球をちょっと一回動かしてみたいということで、麻酔も何もかけずにベッドに縛り付けられ、白目をピンセットで摘まれて引っ張られました。そんなことしたら私は目がおかしくなってしまうんじゃないかと、それを経験しなかったら普通は思うのですが、眼球を引っ張られても何ともない。それをしてもらったお陰で、砕けた骨に埋もれていた眼球と神経が、要するに解放されてその瞬間から光が戻ったのです。
この事件は新聞にも取り上げられてしまい、そうなると学校の管理者が私の家にお詫びに来てくれた訳です。校長と教頭、事務局長が前田家に来てみたらお寺ということが発覚した。しかも、その時の教頭と事務局長の二人は実は正山寺の住職をしている私の叔父と親友だった。そして正山寺のすぐ近くのお寺で住職をしていたのが一方の事務局長の方でした。そんな繋がりがあって、今考えてみれば、できれば避けたかった縁、この事件がなければ、私はおそらく僧侶になるということも無かったのではないかと思います。
大学進学後、母から正山寺の跡取りになってもらえないかという話がありました。正山寺のその当時の近隣のお寺さんや、先代の管理職をしていた親友が、あいつにならせるべきだと仰ったのだそうです。当然、即答することはできませんでした。それから一週間、僧侶って一体何だろうかと考えて、身近にいた僧侶である父の姿を思い浮かべました。
本堂にいた父の姿を思い起こした時に、一番私にとって衝撃的だったのが、まず三百六十五日休むということをしない人でした。当然、私が朝起きる前に起きて既に本堂にいる。本堂にいる以前には朝の勤行を行い、本堂の周りを掃除している。それで初めて本堂の中に入り、正面入り口も開けている。永代寺は深川不動尊という大きなお寺の参道にありますので、ひっきりなしにお参りの方がいらっしゃる。本堂を覗くと、必ず誰かがご本尊の前で手を合わせている。あるいは、本堂の片隅に小さなテーブルを置いて仕事をしている私の父の前に座って、泣いていたり、笑っていたり、黙って座り込んでいたりする姿を見ました。要するに三百六十五日同じ生活をしています。これを考えた時に、こんな生き方ができたら凄いことかもしれない、よし、僧侶になってみようって思っちゃったのです。それで母に正山寺を継ぐと言った訳でございます。
私は大学卒業後、永平寺で約二年半修行して、正山寺の住職をさせていただいている状況です。どんな人でも住職に話しかけやすい雰囲気の僧侶になりたい、誰でもどんな気持ちでも吐き出すことのできるお寺をつくりたいという目標を持って今のお寺の運営をさせていただいています。
私が僧侶になった時に、やっぱり仏教は凄いって思ったのが「四弘誓願」を読んだ時です。「衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成」迷いの人は多けれど、誓って救うことを願います。煩悩は尽きることがないけれど、誓って断絶することを願います。仏の教えは無量であるが、誓って学ぶことを願います。仏道はこの上なく貴高いが、誓って成就することを願います。私がこの四弘誓願の注目したところは冒頭です。衆生無辺誓願度、迷いの人は多けれど、誓って救うことを願う。利行というものがまず先頭に来ているということです。自分が悟りを開くとか、そういうことではなくて、まず迷いの人を救いましょう、私は迷いの人を見たら放っておかないんだ、ということが書かれているのです。仏教で一番大切なのは実践です。だからこそ、「衆生無辺誓願度」、利行を象徴するようなこの言葉が先頭に来ているのだという風に私は解釈しております。
私はその誓願をもって一日を過ごさせていただきながら、寺での面接相談、自死自殺に向き合う僧侶の会で手紙相談、メンタルケア協会では引きこもりの青少年と直接の面談、ある任意団体のところで電話相談、というような活動をさせていただいております。
今の若者から多く聞かれる声というのは、「死んでしまいたい。」という様な言葉よりもむしろ「どうやって生きたら良いのでしょうか。」「私の生きる意味ってなんでしょうか。」、そういう問いかけをする二十代・三十代の若者が非常に増えているという印象を持っております。
お寺というと多くの相談が、仏事的な相談だろうという風に皆さん想像なさると思いますが、正直、純粋な仏事的な相談は今まで一回も受けたことはありません。ただ何人かの方はこんな相談の仕方をなさいます。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>



(2014/3/27「いのちを見つめる集い」より)

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