「生老病死」『死』死ぬことは布施である [228回 H25/11/14]
講師:ひろ さちや 氏 大正大学 客員教授
講師プロフィール:
 昭和11年 大阪市に生まれる
 昭和35年 東京大学文学部 インド哲学科を卒業
 昭和40年 同大学院博士課程修了
  気象大学校教授を経て大正大学客員教授。
  仏教を中心に宗教をわかりやすく説き、多くの人々の支持を得る。
  宗教思想の研究、講演などに活躍。
著書
『「狂い」のすすめ』『釈迦とイエス』『ひろさちやの般若心経88講』など五百冊以上


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<講演録>

 私、こんなふうに「生老病死」を生について、老について、病について、そして死についてと分けて考えるのはおかしいと思っています。

 皆さん、「死」について点みたいに考えていませんか。生きている間は死んでない死んだら生きていないと思っていませんか。一本の棒線を引いて、ここの点が死、その前が生きているということだと。これ嘘だと思います。できるだけこの点を向こうに遠ざけたい、生きている間はできるだけ長いほうが良いと、皆さん考えていると思います。
でもそうじゃないと思うのです。皆さんをお見受けしたところ、若い方もいらっしゃるけど、そうじゃない方もいらっしゃる。すぐお浄土に行かれる方が多いと思います。

お浄土にもうすぐ行くっていうと、大抵の方はそんな不吉なことは言わないでと言われますが、お浄土の単位から言ったら我々人間世界の100年くらいがお浄土の一分ぐらいなものだと、そう考えたほうがいいと思います。我々の世界を娑婆って言いますが、お経の中に朝飯前にお浄土から娑婆に100年生きたとしても、それが朝飯前に終わってしまう仕事だっていうそういう表現があるのです。
そうして見るとこの世は非常に短い時間だろうと思うのです。

 これは仏教じゃなしにキリスト教の話ですが、こういうジョークがあります。
ある男が神様に向かって、「神様、私達の1万年という時間は、神様にとったらいったいどれくらいの時間ですか。」と聞いた。
「さぁな、わしの考えでは大体1分くらいな。」と神様が答えた。
そこで1万年が1分くらいだと思って、男はしめた!
「じゃ私達の10億円って、神様にとったらどれくらいですか?」とまた聞いた。
神様は「1円くらいだな。」と。また男はしめたとばかりに「じゃ、たった1円で良いから私に下さい。」と言った。
神様は「わかった。1円あげるから一分待ちなさい。」と言われたという。

 1万年待っていれば、10億円くれるという話ですね。100年後に生きておられる自身のある方、ちょっと手を挙げてください。誰もおいでにならない。今10歳の人でも110歳まで生きなければならないので、大抵の皆さんは多分もうすぐお亡くなりになります。1分後にはもうここにおいでにならないわけであります。
だから死というものをどういう風に考えるかというと、まったく間違っているのでこういう風に点で考えちゃいけないと思います。

 それではどう考えるべきかと言いますと、氷が解けて水になります。でもいきなり氷が水になるわけではないです。じわじわと解けていくわけであります。最初100%氷であったものがじわじわ解けて水になって行くわけです。この辺が50%でどんどん解けて水になっていくわけです。これを生と死と考えてほしい。
 いきなり死になるわけではないのです。最初生まれた時は100%生ですね。
でも、一年経てば一年分老いていくわけです。じわじわ、じわじわ死は忍び寄ってきます。そして50%になり、私なんかもう77歳だから、もう死はこの辺だと思うのです。
皆さんもお顔を見ますと、相当死が忍び寄ってます。100%生の人なんて誰もいない。但しこれは年齢ではありません。3歳で亡くなる子は3歳で100%死になるわけであります。だからじわじわと生きている限り死が忍び寄ってくるわけであります。

死とは何かと言うと、老いです。つまり老いることだと考えてもらったらいいわけです。
死について考えるということは、逆に言ったら、死後のことについて一切考えないということです。自分が死んだ後について一切考えないということが死について考えるということだと思います。
 例えばお釈迦様の弟子にマールンクヤという人がいます。
このマールンクヤがお釈迦様に哲学的な質問ばかりするのです。ある時死後の世界ってあるのですか、無いのですかって質問した。そうするとお釈迦様一切答えません。黙っている。何度聞いても答えないのでたまりかねて「お釈迦様が答えてくれなければ、私仏教やめます!」と強い面持ちでお釈迦様に言った。するとお釈迦様は、
「マールンクヤよ、ここに一人の男がいて毒矢で射られた。友人たちが集まって毒矢を抜いて治療をしようする時にまぁ待てと。この毒矢を射ったのは男なのか女なのか、背が高いか低いか、毒の成分は何なのか。毒矢を抜かずにそうしていると死んじゃうだろ。そなたがやっているのはそういうことだよ。大事なのは死後について知ることではなく、今をりっぱに生きることだよ。」と、お釈迦様は教えられたと経典に書いてあります。

 お釈迦様の言葉にあるのは、「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに過ぎ去った。未来はまだやってこない。だからそういうものを忘れなさい。あなた方は今成すべきことをしっかりおやりなさい。」そう教えておられます。
 あの時あんな亭主と結婚しなければ良かったと、過去のことばかり言ってもしょうがないじゃないですか。また将来どうなるかなんて未来のことも考えてはいけないのです。
今を大事に生きていく。これが大事なことです。
死んだ後どうなるかといったら、「お浄土へ行きます」と信じていれば良いのです。
考えたらだめです。

<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>




(2013/11/14「いのちを見つめる集い」より)


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