『般若心経を散策する』橋髑ミ [222回 H25/2/28]
『般若心経を散策する』

講師  橋髑ミ 師 一般社団法人仏教情報センター 代表理事

講師プロフィール

1953 年広島県に生まれる。立教大学卒業後、高野山大学を経て高野山専修学院にて
修行。8 年間のサラリーマン生活の後、自坊の高野山真言宗正光院の後を継ぐ。設立
間もない仏教情報センターに参加し、「仏教テレフォン相談」をはじめ多くの活動に
関わり、仏教がより身近な存在として社会に貢献できるよう提起し続けている。平成
2 3 年より社団法人になった仏教情報センター理事長に就任

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<講演録>

―前半省略―

私は高野山真言宗の僧侶ですので、どうしても軸足がそちらの方に行くこともあるかと思いますが、そのあたりも含んで頂いた上でお聞きになっていただければよろしいかと思います。

それでは、今日のテーマは「般若心経を散策する」ですが、散策ですから、足の向くまま気の向くまま、流れゆく時を感じたりするのが散策ですので、今日の話もあまり堅苦しく考えて頂だかなくて結構です。途中立ち止まったり、あるいは逆戻りしたり、ということもあるかと思いますが進めさせて頂きます。

般若心経を散策するって言いましても、もう皆さん般若心経をよくご存知ですよね。本屋さん行きますと、今は仏教書ブームのようで仏教書のコーナーも非常に多様で、般若心経に関してもコーナー一つできるくらいですね。

CD付とか、般若心経一緒に唱えましょうとか、写経もついていますとか、まあそれぞれ、いろいろ解釈があります。皆さんの中でも、般若心経の解説書とか注釈書とか読まれた方いらっしゃると思うんですけれども、非常に難解ですね。

片手に仏教辞典や国語辞典のようなものでも無ければなかなか解るものでは無いですし、そもそも解説書と言うからには読者に伝わる言葉で言わないと解説にならないですね。知識もそうですよね、物事が成長するっていうことは知識を得る事じゃなくて道理がわかるってことです。ですから、いくら般若心経の注釈本10冊読んで知識を得たところで、般若心経は解らないと思いますね。ゆめゆめ皆さんも、迷わないで頂きたいなと思います。

私たち仏教情報センターでも各宗派のお坊さんたちが来ていますから、お坊さん同士でいろんな話をします。

般若心経どのようにとらえているのか、とかお互いの教義の話もします。当たり前ですがやはり各宗派によって、般若心経の解釈は違います。でも、それは全部正しいと考えます。信念としてお経を頂いている訳ですので、お互いにそれは尊重し合っています。ですから、これから毎月一人ずつ三人の方が般若心経をテーマにお話しされますけれども、どういう解釈が出てくるかわかりませんが、絶対これは正しい、あれは間違いという解釈はありません。繰り返しますが解釈に関しては、これが正しいという到達点はありません。どんなに探求してもきりがないのです。

我々もそうですけども今生きていること自体、その時間がすべてなのです。般若心経に接するとき、どういう風に感じるかと、自分の心がどういう風に動くか、ということが一番大事だと思うのです。ただし、我々もお天道、太陽と一緒に、ぐるぐる回っていまして、一瞬たりとも静止していることありませんよね。お医者さんの話によると、人間の体ってどんどん代謝して食べ物食べて、細胞が出来て血もできて、血なんか1ヵ月で全部入れ替わるらしいですね、古くなって。ですから自分の体でさえも一瞬でも同じ体は無いんです。常に動いて変化している、生き続けているそうです。

そういった中で見ていきますと、探求する姿勢そのものがあれば、自分自身がどういう立場になった時にこう感じるんだっていうのがわかると思うんです。絶対的な性格がないという以上、同じ人が同じ般若心経を見ても、その読む時の気持ちによって心によって全部解釈が違います。その中のビビッとくる言葉とかもその時によって違います。でも、それが正しいのです、それがいいんです。それを大事にしてほしいのですよ。
それが、まあ結論から言うとお経なのですけどね。

ですから、今回資料とかお持ちしましたけども、たまたま私が知っていること、経験したこと、感じていることをここでお話しするだけで、これから私もいろいろ勉強したり経験したりするうちに、今日話したことと違うように感じるようになるかもしれませんけども、それはそれでよろしいのです。今は、今日、私が感じている般若心経についての話をする、のみでございます。いろんな注釈書とかありますけれども、答えが出ない以上、今の自分の心に般若心経として一番フィットするもの、そういった解釈がどこかにあれば、それを、自分の解釈として考えていただければよろしいかなと思います。

これからあと3人の方々が、般若心経をテーマにお話しされます。そこで、今日は最初なので、お坊さんから見た般若心経はどういったお経なんだろうか、と言うことを話しますが、あまり深く立ち入らないようにして私の話で般若心経をより身近に感じていただければ目的がかなったということになります。

さて般若心経ですが、その前に仏教ですね。この心光寺も仏教寺院です。日本には仏教のお寺は多くありますし、仏教行事や仏教的な言葉もいっぱい残っています。仏教はどこで生まれたか。皆さんご存知ですね、インドです。仏暦で2600何年ですからキリスト生まれる600年くらい前に仏教は興りました。それからいろんな国や地域を経由して日本に伝わっています。

日本に伝わっている仏教は実は幾通りもありまして、シルクロード、あるいは南の方を通って中国を経由して、朝鮮半島を経由して日本に来ています。日本に来ましてからは国家仏教となったり、いろんな政争に巻き込まれたりしながら紆余曲折していろんな宗派が出来ています。相対的にみると、真言宗というのは非常にインドの仏教の影響が残り、インド的な発想に近い仏教です。これが一つ目。

それから二つ目に中国で生まれて伝わってきた仏教もあります。それで日本に来ているのが天台宗ですね。黄檗宗などは中国からって言われていますけども日本に来て独自の展開をしていますので、必ずしも禅宗は中国からというふうには言えないそうですね。天台宗はもともと比叡山に最澄さんが開いて、ずっとこれが学問的にも日本仏教の中心として入ってきました。それまでは南都六宗がありましたけれども、天台宗は朝廷も庇護して学問的にも全部バックアップしましたので非常に栄えました。その天台宗から生まれたのが、3つ目の流れ、日本でできた宗派です。

浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、それみんな鎌倉時代です。鎌倉時代には、本当に世の中混沌としまして、明日には世の中なくなっているかもしれないというような末法思想ができていまして、そうなると、いちいちお経を解釈してこれはあーだこーだと言っている意味自体も無くなってしまうんですね。もっとてっとり早く民衆の苦しみを救おうというので生まれたのが浄土宗であり、浄土真宗です。日蓮宗もそういった、混沌とした鎌倉時代の仏教で、やはり非常に強力なリーダーシップをもって出てきました。今、現在日本にある仏教宗派というのは、そういったわけで3つの流れがありましてそれぞれの役割を持って存在しいてる訳です。


<こちらでの公開はここまでです。全体の講演テープをご希望の方は仏教情報センターまでお申込下さい(千円送料込)>


(2013/02/28「いのちを見つめる集い」より)

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