「声明」   真言宗豊山派・円光院副住職 西谷隆司


  「声明」という言葉をご存知の方もおられるかと思います。その声明について我々僧侶の世界に「悉曇(しったん)声明愚僧の役」という言葉があります。悉曇は梵語学(サンスクリット語の勉強)、そして声明は譜のついたお経で、それらは「愚僧」のすることだというわけです。
  私は大学ではサンスクリット語を専門としましたし、卒業してからは声明を長いことやっております。つまり、愚僧の極致でございますのでたいしたお話はできませんが、しばらくお聞きください。
  声明と申しますのは日本の寺院で、僧侶が儀式のときに唱える宗教音楽「典礼楽」のうち声を使ってするもの、つまり、仏教音楽の中の声楽のことを現在「声明」といっております。
  これは本来、古代インドの五種類の学問「五明(ごみょう)」の一つで、シャブダ・ヴィドヤーといい、文法学を意味する言葉でした。日本でも平安時代には、お坊さんがサンスクリット語の文法学を学ぶ、そのことを声明といっていました。
  一方、その頃にも仏教音楽の中の声楽というのはございまして、「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれておりました。今でも中国語圏内の仏教では梵唄という言葉が使われております。
  日本では平安時代までは、梵唄という言葉で仏教音楽の声楽を意味していましたが、鎌倉時代以降「声明」という言葉にそれが置換わりました。
  で、この声明というのはもちろんインド発祥でございます。インドから中国に伝わり、その時にかなり変質してはいます。歌詞はそのままサンスクリット語を使っても、音楽の構造としては中国の音楽理論に合わせられておりますので、多分に中国風と思っていただいてよろしいかと思います。
  そして中国でも新たに曲が作られ、それらが仏教と共に六世紀中頃日本に伝来したわけです。
  その当時の法会の中心は転経(読経)と講経(お経の内容の講釈・解説)で、声明が歴史の中ではっきり現れるのは天平勝宝四年(七五二年)、奈良・東大寺の大仏開眼供養の時です。唄(ばい)・散華(さんげ)・梵音(ぼんのん)・錫杖(しゃくじょう)の四曲を含む「四箇(しか)法要」が行われたということでございます。
  その後九世紀始めに弘法大師空海様が真言声明を、九世紀中頃に慈覚大師円仁様が天台声明をそれぞれ日本にお伝えになられ、それらが今に伝わっている声明の原点になろうかと思います。
  そして、十二世紀から十四世紀(平安朝後期から鎌倉、南北朝)にかけて、日本での声明が最盛期を迎えるわけで、その間に記譜法(楽譜)、音律論、演奏法、儀式の中での位 置付けなどが確立されました。
  また、声明を音楽としてみたときの音楽観といったものなどが、だいたい南北朝ぐらいまでに出来上がったと考えられております。
  十五世紀以降は伝承と普及が盛んに行われました。師から弟子に直接伝えていくというだけでなく、普及のため楽譜が刊行されました。記録によりますと、文明四年(一四七二年)に高野山で刊行された声明集、これが世界最古の印刷楽譜ということになっております。
  日本のみならず世界の音楽史上で、これは特筆されることだと思っております。 
  そのような歴史からいっても、また、音律論、記譜法、芸術的完成度においても、声明はキリスト教のグレゴリオ聖歌などと比べて、決して引けを取らない優れた宗教音楽であるという評価は受けております。
  ただ残念なことに、明治期になり日本の音楽教育が西洋音楽一辺倒となったことと、廃仏毀 釈による仏教の衰退で、声明は完全に忘れ去られた状態になったのです。
  そして戦後になりまして、若い現代音楽の作曲家たちが声明に気づきました。
  皆さんご存知の作曲家・黛敏郎さんが昭和三十三年に、梵鐘と真言と声明に魅せられて『涅槃交響曲』をお書きになりました。また、民族音楽の第一人者であられた小泉文夫さんら、民族音楽研究者の方々が声明に関心をお持ちになられたのです。
  そして我々僧侶自身も、声明が大切なもの、音楽として素晴らしいものであることに改めて気づかされた次第でございます。
  現在は国内外を問わず、声明の公演が行われるようになり、海外でも高い評価をいただいております。
  声明は「日本人の魂の子守歌」ともいわれており、確かに日本の音楽の流れの中で、その源流の一つにあたるものだと思います。
  古いところでは、平家琵琶での平家物語の語り(平曲)、これなどとは声の出し方語り方が非常に似ております。それから浄瑠璃があったり、長唄があったり、そしてそれらに影響された現在の歌謡曲があるわけで、日本の音楽文化の中では、大きな位 置を占めているものであるということをご理解いただいた上で、いろいろな邦楽をお聞きになるのもいいのではないかと思います。
 
  次に、声明がどういう立場で唱えられているかを真言宗の場合でお話いたします。
真言宗寺院では、ご本尊の前に少し高くなった四角い壇があり、その前に法要の主役であるお導師様がお座りになります。そして、そこで決まった作法で仏様をお迎えし、様々な供養をし、その仏様とお導師さまが一体(三密瑜伽さんみつゆが)になるわけです。
  つまり入我我入という心境で、これがあくまで儀式の中心でございます。そして、その周りで職衆(しきしゅう)と呼ばれるお坊さんたちがきらびやかな法衣を着て、お経を唱え声明を唱えるのです。また、その場の飾りつけ(荘厳しょうごん)も、ここは臨済宗のお寺ですからさっぱりしていますが、真言宗はもっと華やかに飾りつけます。
  それらは、お釈迦様でも言葉で表現できなかった仏様の世界を何とか表現して、仏様のお悟りというのを感じとっていただこうというもので、その中の声の部分が声明でございます。
  さらに正式な法会は現代の時の流れからみると、大変長い時間をかけて行われるものなのです。ですから、今日のような形でお唱えしても、本当の意味は伝わらないと思いますが、その一部を抜き出して唱えさせていただきます。
  また、声明は宗派によってそれぞれ違いがあります。同じ題名の曲でも天台宗系のものと、真言宗系のものでは全く違う音が聞こえてきます。
  さらに、私は新義真言宗の中の豊山派ですが、同じ真言宗でも高野山系統の古義真言宗とは、同じ楽譜を使っていても出てくる音は相当違います。そして私どもの豊山派声明の中でも、師匠により多少の違いがありますので、私がお唱えする声明が全てではございません。
  この真言声明の流れの中で近年に於いて重要な位置に青木融光大僧正という、声明のみならず僧侶としても立派な方がおられました。その方は「記録作成する無形文化財」(俗にいう人間国宝)になられた方でして、昭和六十年に九十五才で亡くなったのですが、その前年まで国立劇場の大ホールの真中にカッと座り、劇場いっぱいに響き渡る素晴らしいお声をしていらした方でした。
  声明が世に知られるきっかけの大きなものの一つが、昭和四十一年に国立劇場の柿落としで声明が初めて舞台にのったことです。
  それを青木先生がなさったのですが、当然、ご本尊様の前でやるべきものなのにホールなどで一体何を拝むのだといった批判がございました。しかし先生は、「私にとってはどこでもが道場であり、どっちを向いてやろうが私にはちゃんと本尊様はいる」とおっしゃり、公演を引き受けられたのです。
  そして公演が終わってからおっしゃった言葉が、「客席の皆さんが仏様に見えてきた」。   
 
  その先生について、もう少しお話いたしますと、先生が九十歳代になってからでしたが、奥様が九十歳近くになられて介護が必要な状態になったのです。もちろんお寺でございますので息子さん夫婦と一緒に住んでおられたのですが、「おばあちゃん(奥様)の世話は私の仕事だ」といって、下の世話など介護全部を先生がなさったそうです。
  お弟子さんたちが心配して、先生に大丈夫ですかと聞くと、その度に「やってやるといっちゃあ疲れちゃう、やらせていただくと思えば何でもない、ありがたい」とおっしゃったそうです。
  そして、実際、介護をなさっておられる時のお顔は嬉々としていたそうです。九十過ぎのおじいちゃんが、九十のおばあちゃんの世話を全てする……、やはり、できることが幸せだと思いますね。
  その青木先生を語るとき、いつも枕詞になるのが生きる喜び≠ニいうことです。「ありがたい」「生きててありがたい」といつもおっしゃっていましたし、八十歳を過ぎてヨーロッパでもアメリカでも、自分が必要とされているのであればどこへでも行くというふうで、生きていることの喜びというのを実によくお伝えになった方でした。
  そういう先生に師事できたことが、今でもこうやって下手ながらも私が声明を続けているという一つの大きな原因であると思っています。
 
  あと、声明といいますと、今、よくヒーリングミュージックとか、癒しとかいうことの中の一つに入れられているようですけれども、どうも、やっているほうはあんまりそういうことは考えていません。他のヒーリングといわれるものもそうだと思いますが、自分の表現したいこと、伝えたいことを表現しているわけで、それによって癒されるかどうかというのは、受け手側の問題であろうと思います。
  それではこれからお聞きいただきたいと思いますが、日本語のものもありますが、多くは梵語(サンスクリット語)で書かれたものを、漢字に音写 したものです。それと、中国でできたものは漢語で書かれていますが、宋音・唐音で唱えられます。要は、聞いても内容は分らないということです。
  じゃあ、内容の分らないものは全て意味がないのかというと、私は決してそうではないと思っております。
  それは、言葉というのは日常のものであって、言葉を超えるというのはその日常的な意味を超えた、直接的な響きとして皆さんに伝わるのではないかと思うのです。音楽としても、言葉を超えることによって、より超絶的というか、より崇高なものとして捉えられると信じます。
  声明そのものの音の響き……。要は、ここの空気を私が振動させるわけですから、それが皆さんに直接に伝わっていくはずです。それと、声明の深くて大きな呼吸を皆様の心と体で感じとっていただければ幸いです。
 
☆ まず三宝礼・如来唄(さんぼうらい・にょらいばい)という曲で、一人で静かに独唱するものです。
☆ 四智梵語(しちのぼんご)といいまして、大日如来の智慧を讃嘆する曲です。 真言宗の葬儀や法要で最も聞く機会の 多い声明です。
☆ 四智漢語といい、四智梵語を漢訳し、 中国風に作曲したものです。
☆ 名曲といわれる云何唄(うんがばい) です。老僧が独唱するもので、この曲で以って一座を静粛にさせる役割ももつ曲です。 最初の行は歌詞。二行目が楽譜で、博 士(はかせ)といい、棒の角度で音の 高さが違ってきます。三行目は仮博士 といい音の変化をイメージとして表したものです。
 
☆ 散華、蓮華の花びらを散らして仏を供 養する時に唱える声明で、一番華やか な曲です。 それと、伽藍を拝借しましたので、この伽藍が安穏で仏法が興隆しますという意味の句を入れて対揚(たいよう)という曲を続けて唱えます。
☆ 日本語の曲で舎利讃嘆(しゃりさんだん)。お釈迦様のご遺骨を讃えたもので慈覚大師円仁様が作られたものです。
☆最後に皆さんと一緒に最初の曲を唱えてみたいと思います。

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