ガンと共存するには 中村道子


 ご紹介いただきましたように私は二十四年前に左の乳房を切除いたしました。当時、がんの情報といえば家庭の医学書ぐらいで、それによるとがんはゴツゴツしていて動かない、と。でも私のは触ると動くような感じがしましたし、仕事も忙しかったりで、半年近くほっておいたのです。ところが、だんだん左腋の下が腫れてきたものですから、「やっぱりこれはがんだな」と思い病院へ行きました。
  外科へ行きまして先生にいきなり、「乳がんだから手術して下さい」って。先生は「自分で勝手に決められちゃ困るよ、とにかく検査をします」と。三週間ほどかけて検査をした結果 、性質が良くなさそうだからすぐ入院して下さい、となったのです。でも、仕事の段取りなどもありまた延ばして、結局しこりを見つけてから八ヶ月後に手術を受けました。
  おっぱいを取ることは分かっていましたが、こんなふうに全部取られるとは思いもよりませんでした。胸の膨らみとその下にある大胸筋・小胸筋、それから腋の下のリンパ腺もすっかりえぐり取られて、洗濯板のような感じです。
  そして傷口が癒え放射線治療を始める頃背中が痛くなり、骨への転移が判明しました。取った個所への放射線治療と胸骨の裏にあるリンパ腺をたたくための放射線治療、それに転移のあった脊髄四ヶ所への放射線治療で白血球がドンと減り、一ヶ月間治療を受けられなくなってしまいました。
  そうすると病院は「お家へ帰って養生したほうがいいですよ」って言うのです。でも、子供や姑のいる家に帰っても養生に専念することはできませんよね。追い出されないように上手にねばりました。どうしても病気を治そうの一念でねばりにねばって五ヶ月間病院生活をしました。
  退院してからは、入院と同じ期間をかけてリハビリをしないと躰は元に戻らないと考え、五ヶ月自宅療養をした後仕事(損害保険の外交員)に復帰しました。それ以上長く家にいると、再発しないか転移するのではないか、こっちが痛いあっちが痛いと必ず始まります。それが嫌で外に出て病気のことは忘れようとしたのです。
  しかし疲れました。肝臓の数値が上がり、食事がいただけなくなったのです。それで、どうすれば食欲がでるかと考えた結果 、禁じられていたお酒とタバコを復活させました。少しですが毎晩ビールを飲むようにしましたら、嫌なこともパッと忘れられるし、食事もおいしくいただけるようになりました。以後二十四年、毎晩ビールは欠かしません。
 
 
  この病気は、昔はしこりの大小に関らず、全部取るという拡大手術(ハルステッド)をやっていました。ほんの指先ほどのがんなのに大きな手術をして九十九%再発も転移もありません、と言われたにも関らず半年ほどで再発して病院に戻っていらした方がいました。
  そんなこともあり、大きく取るのが必ずしも良いわけではないことに、私は早いうちから気づいておりました。また、がんを治すには自分自身がそれに向かっていかなければならないし、そのためにはがんについて勉強しなければならないと考え、大学病院の生協で専門書を買い集め全部読みました。分らない事はいっぱいありましたけれども、ある程度は理解したつもりです。
  それと同時に、再発・転移で出戻ってきた患者さん達に、それとなく今までの食生活や環境、考え方などを聞いて歩くこともしました。多数の方がお嫁さんでありお母さんという立場ですから、自分の事はさておいて、親や夫・子供の事を考えるわけです。そうすると躰を治さなきゃならないのに、どうしても余分なストレスがかかるのです。
  それで私は、やりたい事をやりたいようにやっていこうと、自分が犠牲になって何かをするということは一切やめました。多少の迷惑はかけるかもしれないが、私が元気になることが結局家族のためになるのではないかと考えたのです。自分勝手かもしれませんが……。
  治療についてもう少し申しますと、私は抗がん剤の副作用で下痢がひどかったものですから、早いうちに抗がん剤は止めました。そうすると外科では治療法がないので追い出され、末期患者さんがたくさんいる放射線科に移されました。
  でもそれが私にとっては良かったのです。放射線科の先生は、抗がん剤を使わなくても免疫が上がる方法をいろいろ考えて下さいました。
  まず、BCGワクチンを一度に十人分、三ヶ月おきに四回。それと、溶連菌をペニシリンに溶かしたもの(ピシバニールといい筋肉に注射する)を二週間おきに五年間。その二つを積極的にやりました。ピシバニールは発熱させることで熱に弱いといわれているがんをやっつけるのだそうです。
  もう一つは、乳がんは女性ホルモンに関係の深いがんですから、それを抑えるため卵巣を取りました。また、脳下垂体や副腎からの分泌は男性ホルモンを飲むことで抑えました。これも五年間飲みましたが、男の子の声変わりと同じように、私も、声がかすれて人前で喋れない時期がありました。
  それらの治療が功を奏したのか、五年経って腫瘍マーカーの数値は下がりました。同時に、脊髄の欠損部分も次第に再生してきて、十年目には完全に再生されたのです。転移しても治ることがある例として、学会に発表するとその先生はおっしゃっていました。
  外科の先生は「治るはずはないから、あなたのはがんじゃなかったかも……」なんて言っていましたが、そうじゃないと私は思っています。良い先生に巡り合えて、私の身体に合った治療をしていただいて、その結果 うまく治ったということだろうと思うのです。またいつかどこかに出ないという保証はないのですが、今年で二十四年経ちましたし、その間再発や転移の兆しも全くありません。
  ただ、女性ホルモンを抑えたため骨粗しょう症がひどく、骨量を上げる治療も効果が無かったものですから、六年ほど前から圧迫骨折という形で骨が四つ折れています。痛みは少しありますがしびれは無く、動くのに差し支えはありません。ただ、胴にコルセットをしていますので身体を曲げることがしづらく、道にお金が落ちていても拾えないのです。(笑い)
 
 
  私は以前「あけぼの会」という乳がん患者の会に所属しておりました。そこでは患者さんの悩みを聞くコーナーを設けてありまして、私も悩みを伺う立場になりました。そこで感じましたのは、悩みを抱えて来られた時と、それを話してお帰りになる時の顔が全然変わられることです。とっても晴れやかなお顔になって帰られるのです。やはり悩みは閉じこめておいたらよくない。機会があったら吐き出すことをチャンスとして持ったほうがいいと思いました。
  そして皆さんの共通の悩みは、やはり女性ですからおっぱいが無くなることがつらいというもので、私も常々おっぱいを取らないで治す方法はないかと考えていたのです。
  そんな時、慶応大学の近藤誠先生の「乳がんは切らずに治る」という文章が文藝春秋に載りました。私は「あっ、これだ」と思い、早速先生に講演をお願いしましたら気軽に引き受けて下さいました。
  しかし、その講演の直前「あけぼの会」は近藤先生の説に同調できないということになったため、私を含め四十五名で急遽「ソレイユ」を作り、講演を実現させました。一九八八年九月中頃で台風の日でしたが、八十人ぐらいの方が集まって下さり、近藤先生のお話がとても良かったと喜んで下さいました。
  そこから私は、「乳がんは切らずに治る、なるべく切らないで」という運動を、うちの会で始めたのです。
  因みに、「ソレイユ」というのは、女の方ならご存じでしょうが、昔、雑誌がありましたよね。フランス語で太陽とかひまわりという意味なのだそうです。それで、私たち主婦は家庭では太陽なのだから、太陽のようにひまわりのように明るくいきましょうということで決めました。
  正式には一九八九年一月に発足させ、横浜市防災センターの一室を毎月一回借りて、講演会と相談会をやりました。先生方には乳がんの治療についてのお話を伺ったのですが、その後の質疑応答で、患者が何を思いどういう考え方をしているかを先生方に分かっていただくのが目的でした。
  そのうち、患者さん皆さんが、できるだけ切りたくないという気持ちだということが分かってきましたので、乳房温存のできる先生を増やしていこうという思いで、温存治療をしてくれる先生に患者さんを積極的に紹介するようにし、今もそうしています。
  温存と一概にいいましても、乳がんの温存は乳房のしこりだけを取るのではなく、リンパ腺も取るのが一般 的です。しかし私たちは、リンパ腺は必要な臓器であるからむやみに取ってほしくないと、はっきり言うようにしています。
  私の手を見て下さい。左右の大きさが随分違いますでしょ。切ってしまったリンパ線は繋ぐことができません。血管は繋げられますので血液が流れます。でも、リンパ管は切ったままですから、リンパ液が流れっぱなしになって手に溜まってしまうのです。私の場合は二十四年分のリンパ液の滞りで、だんだん筋肉が弱り伸縮性が無くなって、このように腫れた状態になっているのです。
  また、これは風邪の菌や化膿菌などが入ることで蜂窩織炎(ほうかしきえん)というのを起こしまして、それも一回起こす毎に腫れの戻りが悪くなって浮腫状態が続くようになります。
  それで、こういうことにならない治療が大事だろうと思いまして、リンパ腺はなるべく取らないように、必要最小限にとどめていただきたいと言い続けて十二年になりますが、やっと今、少しづつ変わりつつあります。分かって下さる先生が少しずつ増えてまいりました。
  それから、再発・転移を起こす患者さんがたくさんいます。温存でやるから再発・転移するだけじゃなくって、取ってもやはり再発も転移もあるわけです。だから、なるべく取らないで再発も転移も起こさない治療でなければ意味が無いと思います。それには初期治療がすごく大事だろうと考えるのです。
  ですから先生方には、いい加減な治療はしてほしくない、やるんだったらきちっとマニュアル通 りにまずやってほしいのです。でも、人間ってマニュアル通りに生きているわけじゃありませんから、マニュアル通 りにきちんとやっても、再発も転移もする患者さんはおります。そういう人たちはどうするか……、それの話がきちっとできるようにしてほしいなぁと、今、思っております。
  そのために、外科医とか内科医が知っている抗ガン剤を使ったり放射線を使ったりするだけの治療ではなく、もうちょっと違った考え方の治療法をやっている先生を見つける。これを私は今年から来年にかけての大きな目標にしております。
  やり方はいろいろあるのがだんだん見えてきました。ただ、困ったことにそういう治療には健康保険が使えないのです。いつも思うのですが、やっぱり、命はお金で買うものなんですねぇ。アメリカなどに比べれば日本は医療保険がきちっとしていますけれども、今は規制が厳しくて、風邪や腹痛の治療はいくらでもしてくれますが、がんの特殊治療はカットされます。良いことと分かっていても、再現性が無いというような理由だと聞いています。
  この保険の問題を何とかクリアしていかなければならないと思っていますが、なかなか一個人が言ってできるような事ではありません。皆さんのお力を借りて、来年はそんな運動もしていきたいと考えています。
 
 
  がんは、もちろん治すのですけれども、治すよりも、上手に共存できる態勢を作るのが一番だと、私は考えます。徹底的にたたくと、がんも死にますが宿主である人間も死にます。人間を殺さない程度にがんを上手にてなづける、こういった治療が大事だと思うのです。
  それにはやはり、もちろん今言った医療のことも大事ですが、自分がどうしたいか、自分はどこまでどうしたらそれができるか、自分自身の躰を自分自身がきちんと知る、これが一番大事だと思うのです。自分は今ここまでこういうふうに具合が悪いから、この点に関してはこういう治療が良いのではないかと自分で考えて、その考えを分かって下さる先生を探してやっていただく。それに尽きるのではないでしょうか。だから難しいのです。相手をよく知らなきゃなりません。   
  私は乳がん以外のことはわかりませんが、少なくとも、自分が関わった乳がんに関しては先生方と対等にお話できるくらい勉強しているつもりです。手術がどうのこうのじゃなく、こういう時はこういうふうな治療法とか、こういうふうに考えてみたらとか、そのようなことをお話することはできると思っています。そして、協力して下さる先生方も増えてきていますから、再発だとか転移だとか、もう治療法が無くお手上げになった時は一度ご相談下さい。少しだけ、良いやり方を知っているつもりですから……。
  でもそれだけじゃ駄目ということを、先ほどからチラチラと言っているつもりですが……、自分自身が変わることです。
  がんは、皆さんご存じでしょうか、生活習慣病および老化なのです。若い方でもなりますが、やはりこれは細胞が老化するわけで、その老化の原因が、結局、遺伝子だと思います。
  今だんだん、どの遺伝子ががんを発生するか、何が引き金になっているのか、少しずつ分かってきつつあるようですが、はっきりとは分かっていないのが現状だと思います。ですから遺伝子治療もまだもう少し先の話じゃないかと思っています。やはり、自分を良い状態に保つためには、自分で考えた自分に合ったやり方しかないと思うのです。
  私に良いからと、他の人が私と同じことをなさっても、生活も考え方も違いますので良くなるとは思いません。それは個々が自分で考えて行動を起こさなければならないのです。
  人間も動物です、と私はよく申します。がんになった方で「お肉はいけない、何は食べちゃ駄 目」などとおっしゃる方があります。でも本来人間は雑食性です。やはり雑食していかないと躰は保っていかないだろうと思いますし、いらないものは何もないはずです。
  「過ぎたるは及ばざるがごとし」と申します。しかし、タバコもお酒も駄 目、あれもこれも駄目と聖人君主ばかり作ったっておもしろくも何ともないですよね。ほどほどに遊びもし食べもし、だけども基本は守る。そこだと思うのです。
  そして、食べることは基本ですから満  足していただくことが大事です。満足は爽快感を生みます。肥りすぎは良くないですから、痩せる努力が必要です。ただ、食べないで痩せると飢餓感が生まれ、人間があさましくなりますので、三食きちっと食べて痩せるよう工夫がいります。      
  例えば、野菜などの繊維質のものをまずたくさん食べて、お腹をいっぱいにしてからお肉などのカロリーの高いものを食べるというふうに、同じものでも食べる順番を変えることで吸収が違ってきますので痩せることができます。お米も大事ですからしっかり食べなければなりませんが、後でコレステロールに変化しますので食べ過ぎはいけません。
  私の身長は以前一五八センチあったのですが、圧迫骨折で今は一四五センチしかありません。で、体重は四五キロです。朝晩体重計に乗ってチェックしていますが、少し重い日は夜のビールを一本にしたりと、その程度の調節をしています。そのくらいに柔軟にやらないと長く付き合えないと思いますので……。
  私が手術から二十四年経ったと申しますと、「もう再発や転移はないでしょう、大丈夫ですよ」と皆さんおっしゃいます。だけどそんなことはないのです。生活習慣病で遺伝子が作るものですから、もう一方のおっぱいに乳がんができないという保証は何もないわけです。
  ですから注意し過ぎるということはありませんし、頑張って検診も時々受けるようにしています。でも、しょっちゅう受ける必要は全くないと考えています。患者さんの中には二十三年も経って骨に転移した方もいます。まさかそれが乳がんの転移とは思わなかったとおっしゃっていましたが、そうじゃないのです。やはり、自分の環境が変わったりすると転移が起きるのです。
  だから注意はしなきゃいけませんが、怖がることはないと思うのです。転移が起きた患者さんに「治す方法はありますよ大丈夫ですよ」と、安心していただけるお話しができるように、そういう意味の情報をこれからもたくさん流していきたいと思っております。


 

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