ストーマとの出合い 寺澤松道


  私の体験を通して「オストメイト」がどういうことか知っていただいて、そういう人達の精神的な悩みをも理解していただければ、ということで話をしたいと思います。
  オストメイトとは、人工肛門と人工膀胱をつけた人のことです。七、八年前に俳優の渡哲也が人工肛門になり、その体験を文芸春秋誌に発表し反響を呼びました。それまではどうしても下の病気のため、特に女性の方は周りに知られるのを恐れていました。閉鎖的になる人々が圧倒的に多い中、渡哲也が公表したことにより、こうした病気でも社会復帰ができるのだということを知り、多くの同病者が勇気づけられ、外に出るようになってきました。しかしまだまだ閉鎖的な人が多いのです。 
  横浜市では人工肛門・人工膀胱を付けた人で、障害者手帳をもらっている人は二千八百人、もらっていない人もいるので三千人をこえています。十年前に全国組織の互療会が社団法人「日本オストミー協会」となりました。オストミー協会は世界共通 の名称です。
  昭和四十四年に横浜市立大学付属病院で初めて総会が開かれ患者会が発足しました。当時は、医者はストーマ(ギリシャ語で口という意味。腸をお腹からだし、排泄口をつくる)で病気を治したつもりになり、病人のケアのことは全く考えられていませんでした。また補装具業者は尿や便を袋に溜める装具を売るだけで、品質も悪く皮膚のびらんがおきやすかったのです。人間十人十色で、アレルギーの人もいるわけです。顔や手の皮膚は強いけれど、どうしてもお腹の皮膚は弱くかぶれたりする人が多かった。八〜九割の人が、いろいろと辛い思いをしていたわけです。
  たまたま東大名誉教授の緒方先生がオストメイトにおられました。先生が会の名誉会長になって運動が始まったということで、当時マスコミに大きく取り上げられました。他の国では、補装具は日常生活の用具だから、国が費用を負担しているところが多いのですが、日本では全額自費負担でした。それを行政に援助させ、、福祉関係で障害認定させる必要がありました。また補装具をどう改善していくかといったことを根拠に、全国組織ができあがったわけです。現在は横浜市で四七〇名の会員がおります。
 
  私は旧国鉄でS・L、ディーゼルの機関士をしておりまして、四十年間変則的な勤務をしておりました。
  十七年前の春、ある日職場のトイレで排尿をしているとき、黒ゴマのようなものが落ちたんです。最初はゴミかと思いました。七月になると真赤な血尿が出まして、これは大変だと思い、翌日、すぐに市大病院へ行きました。ところが紹介状がなければだめだというのです。病院は浦舟町にあり、仕方なく、元遊郭のあった伊勢佐木町を歩きながら、医者を捜しました。 
  そういうところは泌尿器科の開業医があるんですが、恥ずかしくて入れませんでした。やっと横浜駅前のビルの中に診療所を見つけ、診察をうけました。  そこで検尿、問診をして膀胱炎といわれ、薬を飲んで様子を見ましょうということになったのです。
  帰宅してその話をしましたら、私の家内は助産婦でしたから、膀胱炎なら自覚症状があるはずで、それはおかしいというわけです。そこで近所の国立病院へまた診察を受けに行きました。すると、ここでは処置ができないので、大学病院へ行ってくださいと言われてしまったのです。普通の膀胱炎ではないな、とそのとき思いましたがまだ膀胱ガンという認識はできませんでした。
  七月末に入院し、二十日間ほど膀胱の苦しい痛い検査をいろいろしました。そして主治医から膀胱ガンという宣告をうけたのです。今でこそホスピスや告知の運動などがありますが、十七年前ですからまだ当時は、よほどでないとガンという宣告はしていなかったと思います。入院中、ガン患者がいましたがほとんどが宣告されず、「膀胱腫瘍」ということで膀胱を摘出されている人がほとんどでした。ある程度覚悟はしていましたが、やはりショックでした。  
  その頃は、ガンと宣告された患者が病院の屋上から飛び降りたりして、自殺者が多く出ていましたから、外科、泌尿器科の病棟の看護婦やドクター達も神経をとがらせていて、どこか出掛けるとき、よく声をかけられました。宣告も告知もできなかった時期でした。
  しかしガンを宣告されたということは、手術をすれば助かる命ということで、家内にも強く言われ、これも一つの人生の転換期と思い、覚悟して手術を受けました。今は違うでしょうが、そのころは手術後はどうなるかという予備知識が全くなく、八時間半かかった術後、目が醒めてびっくりすることばかりでした。
 
  私は、「回腸導管」という手術をうけました。大腸の先にある回腸を二十センチ切り、代用膀胱を作ったわけです。その二日後に真っ黒な便がでましたが、それは血の固まりでした。癒着を避けるため、麻酔が醒めたら医者は身体を動かせと言うのです。
  お腹はへそを避けて十五センチ切っている。動け動けといっても身体はうごかない。そうしながら尿は常に出てくるので、そこに補装具を貼るわけです。この袋(補装具の見本を出して)に尿を溜めるのです。一分間一・五CC尿が出ます。二十四時間、一生貼りっぱなしになるわけです。特に腎臓を保護するため、たくさん水を飲みなさいといわれる。 飲むと尿の出がよくなる。
  これは(補装具一式を入れたケース)いつどこで、いつ漏れだして洋服を汚したりするかわからないので、常時持って歩いています。
  ストーマは尿や便の排泄口で「口」というんですが、ちょうど三センチ前後のピンク色の梅干しを想像してください。そこの腸をめくって皮膚に付ける。こういうのがわれわれのお腹にあります。一口に補装具を貼るといっても、看護婦さんでもなかなかうまく付けられないのです。一週間から十日たったころ貼る練習を自分でしなければなりません。歩くことはできるようになっていますが、身体は自由に動かない。お腹のストーマをみることができず、鏡を見ながら練習するのですが、反対に写 るからなかなか難しい。とても苦労しました。
 
  私はそれまで、変則勤務や組合活動など、相当無理な仕事をしてきましたが、身体には自信がありました。まさかこういう病気になるとは思いませんでした。
  ガン細胞は百人が百人持っていて、病気になる根拠があるんです。体質的に弱い人、家系的ガンになった家族がいる人、ガンが発病する人としない人。その区別 がどうしてでるかというと、免疫がどうつくられて、ガン細胞をおさえているかということになります。免疫が弱くなるとガンが悪さをします。ストレスをためないこと、睡眠をよくとり、身体をよく動かすことがとても大事です。         
  ホスピスでも大いにやっていますが、人間笑うということが非常に免疫を高めるということで、先月泌尿器科の先生をよんで講演をしてもらいました。また神奈川Q・O・Lの研究会でも笑い学会の先生の講演がありましたが、笑うことは非常に免疫を高めると、大学の先生方も医学的に勧めています。一度病気をした人は普通の人より再発性が高いそうです。ストレスがたまり、疲労度を蓄積させ、不摂生すると免疫力が落ちて、ガン再発になる危険性が高くなるので気をつけていただければと思います。
 
  私の使用している補装具はセットで二千百円位で、皮膚保護剤が付いています。四〜五日で交換していますが補装具代が月に一万五千円位 かかります。それを死ぬまで使わなくてはなりません。昔は全部自費でしたが、今はいろいろ所得制約はありますが、国から全額補償だと、月一万一千三百円で、人工肛門の人は全額、月九千六百円の補助がでています。
  私は二十四時間、三百六十五日、補装具を貼っています。入浴の時に取り替えるとき十分位 の間だけ、そこに皮膚呼吸させる。貼っているから違和感がある。十六年間それが続いているわけです。
  手術してこういう処置をすることによって私は延命できた。しなかったら半年か一年の命と宣告されていたので、今は本当に有り難いと思っています。
  他の病気の場合は、熱や痛みの症状がありますが、ガンの場合は自覚症状がないので、病院に行くのが遅くなり、手遅れになる。兆候はあるのですが気が付きにくい。そして血尿がでたり、大腸のガンは真っ黒な血便(時間が経ち血が赤から黒になる)がでる。こうした症状を見落とさなければこわくない病気です。
  ガンは早期発見できれば問題はないのです。
  現在は健康診断で検便をするので、二千人で二パーセントぐらいは発見されています。手術も進んでいるので、肛門から三センチ残っていれば人工肛門にはなりません。大腸や膀胱にガンができた場合は、同じ細胞組織でできているので、できた患部を切り取っても再発しやすくなります。そのためにも免疫を高めなければなりません。
  ガンは初期〜末期(一〜五)まであり三期後半までは早期発見です。病院へ行くのが早いか遅いかで、その人の寿命が決まってしまうのではないかと思います。統計を見ると、亡くなる人はガン(大腸・肺)が一番多い。今はホスピスが進んでいるので、苦しまずに死んでいける時代に変わってきているので心配ないと思っています。
ストーマを付けることによって、日常生活には違和感があるものの、処理の方法が今までと違うということです。お腹で排泄処理をする。経験の浅い人には、排泄する箇所が変わったと言うことで少し大変ですが、、赤ん坊の内は、お漏らししたりおむつに便をする。それの学習が進んでゆくと、、親の手を離れて自立していく。それと同じで、排泄排尿の日常の処理が、簡単な袋でする学習をしているんだと私はそう言っています。
  人工肛門の場合、大腸の残っている場合は洗腸といって、ストーマから体温と同じぐらいのお湯を八百〜千CCを十分間ほどかけて入れます。しばらくおさえておいてから、強制的に浣腸と同じように出すんです。一時間くらいで終わりますが、皮膚の弱い人は補装具を貼らず、ガーゼを当てて腹巻きをして過ごせます。一回洗腸すると、二十四〜四十八時間便が出なくなるのです。わりとガスもでないので、社会復帰をしたときにはこういう方法もあります。
 
  オストメイトはいろいろとトラブルに遭います。ここで、研修会の時の女性の体験談をお話します。
  『私が一番悲しい思いをしたのは、洗腸していたころのことです。(現在は自然排便で袋を使用)
  夏の暑い日、病院の帰りに駅の改札を入ったとたん、急に温かいモノがお腹をぐるりととりまくように出てきました。(冷たいものを飲んで帰路、下痢状になってしまったらしい)困ってどうしようと、駅のトイレに飛び込みました。白いスカートを脱いでどこから手をつけてよいか、どろっとしたもの(便)が足につたわってきました。
  まず靴を脱ぎ、トイレの便器の中を掃除し、下着をその中で洗濯しはじめました。その時は夢中で涙も出ません。ドアをノックする音に、小さな声で「入ってます」と返事をしながら次々と脱いだものを洗い、体を拭いたり、泣いているひまもありませんでした。外出のときはいつもタオルを二本用意していますので、とても役にたちました。洗った下着と靴下をしぼり、身につけ、残ったタオル一本を、下に応急手当をして終わるまで、何人がドアをノックしたでしょう。
  どうにか始末を終わり、気持ちを取り戻すと悲しくて悲しくて、涙もでない辛い思いをしました。トイレのドアをそっと開け、ホームに急ぎました。そして電車に飛び込もうと思ったとき、「お母さん、これからは後ろをふり向かないで前向きに、ストーマと仲良くがんばって」と、主人と子供達の言葉を思い出し、失敗は成功のもとと思い、心新たにし、その後は外出先での失敗もなく、今日までやってきました。』
というように話をされていました。
  普通の人と違ってオストメイトはいつ体調が変わるかわからないのです。括約筋がないので我慢ができないのです。冷たいモノを飲んだりすると、体が急変する。食べたものが種類によっては消化されずにそのままで出てくる。垂れ流し状態になります。
 
  ほかにもいろいろあります。尿の溜まり具合はわかりますが、補装具にピンホールという穴があいたり保護剤がとけてて、尿が漏れズボンや下着が濡れてしまうことがあります。寝ている時は全くわかりません。子供がオネショするように、布団に地図をかいてしまう。私もこの十七年間に五〜六回、そういう失敗がありました。
  もう一つは、孫を連れて旅行したときのことです。補装具を忘れてきてズボンが濡れ、近くの大きな病院へ飛び込んだことがありました。そこで濡れたものを着替えて、補装具を一箱買ってつけ、目的地まで行ったこともありました。だいたい大きな病院には補装具は置いてあるので大丈夫です。
  研修会でそういう失敗談を公表しあいながら、お互いに気を付けようというふうにしています。
  特にこういう病気になった女性の方に多いのですが、お風呂に入れない。術後はすぐには入れませんが、半年一年経っても入れない。旅行に行きたいが、温泉にもいけないという悩みがあります。全国に六十六のオストメイトの支部がありますので、そのための研修旅行をやっています。
  年一、二回温泉旅行へ行き、お風呂に入る。風呂に入るとき、タオルで補装具をかくせば大丈夫ですといっています。始めは家族がついていく。しかしその後は自信を持って、グーループをつくって旅行をしています。補装具をつけて温泉に入ることに抵抗を感じて、旅行したくてもできない人達をなんとかできるようにと、会で計画してやっております。そういうことをしながら社会復帰を薦めています。
  「失敗は成功のもと」ではないですが、決して失敗だけが私たちの人生ではない。失敗することによっていろいろなことを学習させられます。勉強になるということを研修の中でよく話しております。皆さんそういうようにして自信をつけています。  
 
  私にとって大きな支えになったのは、先輩達からこうしたいろいろな経験談を聞かせてもらったことです。決して自分だけが悩んでいるのではない。同じ境遇の人達が大勢いる。会ができて、そういう人達が新しい人達に心配ないよと指導してくれているのです。
  私は技術者でしたので、困ったときに、どういう風に補装具などを改善すればいいかなと、図面 を引いたり、慣れないミシンを踏んだりしました。ピンホールの工夫、接着剤、袋バックのカバーなど、お互いの工夫を会の中で、意見交換して行ってきましたが、その積み重ねが自分にとっても、ストレスの解消にもなり励みともなりました。
  それとあわせて延命ができたということは、医者と看護婦がこういう手術、ケアをしてくれたおかげです。ですから同病者のために、自分の経験が役にたち手助けができればと、恩返しのつもりでボランティア活動をやっています。
  オストメイトの身体的苦痛は、補装具がよくなってきているので少なくなってきています。ところが精神的苦痛は、逆に増えてきています。というのはガンで人工膀胱、肛門をつくったということだけでは、精神的苦痛は変らないのです。どこでフォローするかというと、同病者でないとわからない。
  医者や看護婦に話しても、なかなか理解されません。そのためにこういう会があり、門戸を開けていますので、利用してほしいと思います。全国に組織がありますので、困っている人がいれば、是非この会を紹介していただき、一日も早く精神的悩みを解決してほしいと思っております。

 


 

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